「自分を知るこたぁ、自分を矯正することやないがよ。自分を許すためのまわり道ながぜよ。」(アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリー)
フランスの詩人、小説家、評論家の、ポール・ヴァレリーさんの言の葉ながやき。
まず人は、自分を知りたいとは思いもっても、本当に自分を知ろうとする思索の旅に出る人はなかなかおらんがよ。
さらに、その旅に出たとしても、その中で知りえた自分の姿を、無意識のうちに矯正しょうとしてしまうもんながやき。
なぜなら人は、本当の自分を知ろうとすりゃあ、どういたち自分の過去の嫌な部分、自分の中の闇の部分、無意識のうちに避けて通りたいと思うてしまう部分に、目を向けにゃあイカンなってしまうきながよ。
けんど、ヴァレリーさんは言うがぜよ。
「自分を知るこたぁ、自分を矯正することやない」と。
さらに、そりゃあ「自分を許すためのまわり道」やと。
「自分を許すためのまわり道」・・・何ちゅう衝撃的な言葉じゃろう!
そうながよ。
本当の等身大の自分を知るっちゅうことは、そういうことやったがやき。
自分の中の闇の部分もはっきりと知って、その上で「自分を許す」ことができて初めて、人は本当の自分に出会うことができるもんながよ。
そりゃあ一見「まわり道」のように思えるけんど、それこそが本当に「自分を知る」っちゅうことながぜよ。