2012年06月01日

「人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?」ぜよ!

 今回のお薦め書籍は、人類にとっちゃあ永遠の命題かもしれんタイトル、「人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?」(渡部昇一 著 海竜社 1500円+税 2012年3月30日発行)っちゅう書籍をご紹介しますぜよ。「人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?」「人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?」裏


 著者はワシの最も尊敬する、現代日本における「知の巨人」ともいうべき方、上智大学名誉教授の渡部昇一先生ながよ。


 だいたいワシが読書好きになったがも、渡部先生のロングセラー「知的生活の方法」を読んだががきっかけながやき。


 そんな日本随一の碵学の人、渡部先生が、80有余年の体験や研究や思索から納得して掴み取った答え、人類永遠の命題に対しての答えがここにあるかもしれんっちゅうがやき、こりゃまっこと万人必読の書といえるがよ。


 さて内容やけんど、まず渡部先生が、どうして死後の世界や霊魂が存在すると確信するようになったがか、その根拠となったもんについて書かれちゅう部分が、まっこと目からウロコが落ちまくりやったがやき。


 そりゃあ、渡部先生をして天才と言わせしめる、フランスの哲学者・実験物理学者のパスカルの著書「パンセ」の中にある、「賭けの精神」ながよ。


 そりゃあわかりやすう言うたら、次の通りながやき。


 死後の世界や神や霊魂があるかどうかっちゅうんは、理性的に証明し得るかどうかやのうて、あると信じるか、ないと信じるか、ちゅう問題ながよ。


 で、そんなもんは存在せんと信じて生きて、死んでからもなけりゃあ、こりゃあ、もともとながやき。


 また、あると信じて、これまた何もなかったら、これも、もともとやろう。


 そもそも、そんなもんは存在せんかったがやき、あると思おうが、ないと思おうが何も問題は起こらんがよ。


 次に、あると信じちょって、本当にあったらどうじゃろう。


 こりゃあもう、言うに及ばずで、信じて良かった、ちゅうことながやき。


 問題ながは、死後の世界や神や霊魂らあ、存在せん、と考えちょったに、本当はあった場合ながよ。


 ないとわかっちゅうがやったら、生前、好き勝手のやり放題で、ムチャクチャな生き方をしたち誰にとがめらることもないがやき。


 死んで灰になっておしまい、死がすべてを消してくれるがよ。


 けんど、そうやなかったとしたら、どうじゃろう。


 死後の世界が存在するかどうか、神や霊魂が存在するかどうかは、わからんわけやき、何が起こるか、他人はおろか、自分にもわからんがやき。


 もしかしたら、死後、酷い仕打ちに遭うかもしれんがよ。


 それこそ、仏教でいやあ、閻魔大王のさばきで、地獄に落とされるかもしれんがやき。


 そんなもんあるわけないやいか、ちゅうかもしれんけんど、ほいたら、あるわけない、ちゅうことを、おまさんは証明できるかえ?


 数多くの偉大な思想家らあでさえできんかったがぜよ。


 ちゅうことは、人間にゃあ知り得ん世界が存在する可能性がある、ちゅうことながよ。


 それを、ないと信じて生きたとしたら、取り返しがつかんことになってしまうがやき。


 ここまでを整理してもうか。


 死後の世界が存在する、神も霊魂もある、と考えた場合、死んでみて、それらが、ホンマにあろうがなかろうが、おまさんが損をするこたぁ全くないがよ。


 なけりゃあないでもともと、ありゃああったで良かった、ちゅうことやき、何もリスクはないがやき。


 ところが、ないほうに賭けた場合はどうやろう。


 危険率は、五分五分ながよ。


 50%の危険率っちゅうんは、ものすごい確率やといえるがやき。


 いわば丁半博打をやるようなもんながよ。


 ないほうに賭けるがは、これっぱあ危険な勝負をやることや、と、気づくべきながやき。


 ところが、多くの人が、逆やと考えちゅうがよ。


 そのようなもんは存在せん、と考えたほうが、危険率が少ない、と。


 何か危ない世界に、足をつっ込むがやないか、と、恐れてしまうがじゃろう。


 けんど、実は、ないほうに賭けることのほうが、ずっと恐ろしいことやったがぜよ。


 あるに賭けりゃあ危険率はゼロながやき。


 リスクは全くないがよ。


 それを、何を好んで、危険率50%の丁半博打をやろうっちゅうがやろうか。


 このまんまの状態のほうが、ずっと危ないがやき。


 このような確率論の上に立って、信じるか信じんかを考えりゃあ、答えは明確やろう、とパスカルは言うがよ。


 信じるか信じんかは、最終的にゃあ、そこに賭けるか賭けんか、ちゅうことながやき。


 ほいたら、リスクの少ないほうに賭けるがが、賢明な人間の理性じゃっちゅうがよ。


 この、損することの絶対にない、パスカルの「賭けの精神」を知った時、渡部先生は、文字通り、目からウロコが落ちる思いやったっちゅうばあ、衝撃を受けたっちゅうがやき。


 まっことワシもおんなじばあ衝撃を受けたがやけんど、皆さんはいかがですろうか?


 このパスカルの「賭けの精神」を知るだっけやち、この書籍の価値は充分すぎるばあ高いがやけんど、渡部先生はさらにそれのみに留まらんがよ。


 西欧で長年多くの哲学者らあによって考えられてきた、神が存在するっちゅうことに関しての有名な三つの証明、自然神学的証明、宇宙論的証明、存在論的証明らあも、詳しゅう紹介されちゅうがやき。


 さらに、ダーウィンの「進化論」の肝心の部分である「分岐の原理」を発見したばあの精緻な科学的観察者であるウォレスが、宗教が先にあって霊魂の存在を信じたがじゃのうて、自然科学的な検証の結果、霊魂の存在を信じるようになったっちゅう例らあも、紹介されちゅうがよ。


 さらにさらに、医者の中でも、人間の肉体を最も機械的に扱わにゃあならん解剖学者で外科医やったアレクシス・カレルは、その業績でノーベル賞を受賞したばあの大学者ながやけんど、「ルルドの泉」で死の兆候が出ちゅう患者が完治するっちゅう奇跡を目の当たりにして、人間っちゅうんは、解剖学の範囲を超えた存在じゃと気づく、人間は物理的な肉体だけで成り立っちゅうわけやないと、身をもって体験した例らあも、詳しゅう紹介されちゅうがやき。


 ちなみにカレルは、この体験を元に、「人間 この未知なるもの」っちゅう本を書いて、世界中で数千万部も売れた大ベストセラーになるがぜよ。


 結局、最先端の科学をしても、解決できん要素が、数多く人間にゃああるがよ。


 ちゅうことは、なんぼ、科学の成果を並べてみたち、それらあで、人間の本質をとらえたことにゃあならん、ちゅうことながやき。


 またカレルは、「西洋文明っちゅう自然科学の発見を含む人類空前の大文明を創った白人が人間ちゅうもんを十分知らんかったため、崩壊の危機に瀕しちゅう」とも言うがよ。


 なんぼ高度に発達した文明を築いたち、人間ちゅうもんの本質がわからんかったら、いずれ人類は大変なことになる、ちゅう危機感を、カレルは抱いちょったがやき。


 ほんで結局は、その通りになってしもうたと、渡部先生は嘆くがよ。


 ほんじゃき、一層力強う渡部先生は、今でも自信を持って、パスカルも、ウォレスも、カレルも正しかったと言えるっちゅうがやき。


 また、そう信じることで、信じん人らあよりかずっと、幸福を味わうことができちゅうっちゅうがよ。


 信じんかったら、信じん分、その幸せを感じることができんがに対して、信じりゃあ、信じたばあの幸せを感じることができるっちゅうがやき。


 最後に渡部先生は、シニア世代にゃあ特に、この賭けのことについて考えてみりゃあどうか、と勧めたいっちゅうがよ。


 無に帰して、風にさまようばあやったら、一歩踏み出すばあ何ちゃあやないはずやっちゅうがやき。


 なんせ、負けることのない、必ず勝つ賭けながやきっちゅうて断言して、本書を締め括られちゅうがぜよ。



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