「富士山が見たい。」(吉田茂)
先月9月8日(土)の21時から、NHK総合の土曜ドラマスペシャルにて、渡辺謙さん主演「負けて、勝つ〜戦後を創った男・吉田茂〜」(毎週土曜日・全5回)の放送がスタートし、昨夜がその最終回第5回の放送やったき、それを記念して今回も、高知県出身の総理大臣であり、司牡丹の愛飲者でもあられた吉田茂元首相の言の葉を取り上げさいていただくがよ。
さて、今回の言の葉「富士山が見たい。」は、吉田元首相の最期の言葉とされちゅうがやき。
1967年(昭和42年)10月19日、大磯の私邸の病床にて、「富士山が見たい。」と呟いた吉田元首相。
居合わいた三女の和子さんに起こしてもろうて、椅子に座り一日中飽きることのう富士山を眺められよったらしいがよ。
ほんで、その翌日の10月20日、享年89歳にて亡くなられるがやき。
突然の死やったようやけんど、機嫌のえい時の目元をそのまんま閉じたようなお顔で、穏やかに逝かれたそうながよ。
葬儀は東京カテドラルで行われ、10月31日にゃあ戦後唯一の国葬で送られたがやき。
ちなみに吉田元首相は吉田家の養子やって、養父・健三さんが40歳の若さで死去し、11歳の時に莫大な遺産を相続しちゅうがよ。
その遺産は、一説にゃあ当時のお金で50万円。
今の貨幣価値に換算すりゃあ、一千億円に相当するといわれるがやき。
けんど、吉田元首相が亡くなった時、残した資産は大磯の私邸だっけやって、健三さんからの財産は見事に使い果たしちょったっちゅうがよ。
また、妻・雪子さんとの死別(昭和16年)後に、大磯の私邸に入って身の回りの世話をしたりと長年陰から吉田元首相を支えた元芸者の小りん(本名:坂本喜代)さんは、吉田元首相の死後は麻生太賀吉さんが近所に用意した家で、ひっそりと暮らしたらしいがやき。
そこにマスコミらあの取材が殺到したらしいがやけんど、その全てを門前払いして、吉田元首相の話らあは一切語るこたぁなかったっちゅうがよ。
さて・・・亡くなられる前日に日本一の富士山を眺めもって、吉田元首相の脳裡にゃあ、いったいどんなことが浮かんできよったがやろうか・・・?