今回のお薦め書籍は、でっかいサイズの料理本「日本料理 龍吟」(山本征治 著 高橋書店 2012年5月10日発行 7000円+税)をご紹介しますぜよ。
ちなみにお店としての「日本料理 龍吟」(http://www.nihonryori-ryugin.com/)は、世界のベスト50レストランやミシュラン三ツ星に輝く六本木の日本料理店で、シェフの山本征治さんは、海外の料理学会に度々招聘され、日本代表として数々の新たな日本料理の技術らあを発表し続けゆう、日本料理の伝道師でもあるがよ。
そんな姿が、NHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」やTBS「夢の扉+」らあにも取り上げられ、ワシゃあそれらあを観て、こぢゃんと目からウロコが落ちて、感動したがやき。
あの、もはや完璧に完成されちゅうもんとしか思えんような日本料理に、まだ「進化」の余地があるっちゅうて、日夜それに挑戦し続けゆう料理人がおるっちゅうこと自体が、まっことカルチャーショックやったがよ。
日本料理に余地があるやったら、日本酒やちまだまだ進化の余地はあるっちゅうことやきのう!
そこに司牡丹が挑戦せざったら、一体誰が挑戦するがぜよ?
そんな話を、社内でも何度か取り上げ(「5月7日」のブログ参照)さいてもうたことがあったがやき。
そんな関係もあって、山本征治さんの料理本が出版されちゅうことを知って、迷わず購入さいてもうたっちゅう訳ながよ。
さてこの書籍の内容は、料理本やき当然、料理の作り方や写真らあが中心に掲載されちゅうがやけんど、山本さんのエッセイっちゅうか、思想や哲学らあを語った文章もかなり掲載されちょって、全編読み終えた時にゃあ、さながら哲学書を読了したような感覚になったがやき。
料理の作り方の部分やち、たとえば鰹のわら焼きタタキは、「わら燻鰹」っちゅう名前で紹介されちゅうがやけんど、そこにゃあ確固たる哲学があるがよ。
「まぐろは血抜きの必要があるけんど、鰹は血がおいしいき抜く必要がないがよ。」
「わらを燻すことで、血の酸味や鉄分がうまみに変わる。こりゃあ先人らあが考えてくれた技術ながやき。」
「自分にとっての理想の「鰹のたたき」たぁ何か。皮はパリッと焼き、身はわらで燻してうまみを引き出したい。問題は、鰹は皮と身のバランスが悪うて、皮に対して身が多すぎる点ながよ。そこで、さくにおろした鰹の天身を取り除き、おいしいバランスに調整するがやき。この状態で塩をし、冷蔵庫でキンキンに冷やしてなじませるがよ。それから、串を打って「おいしい火」で焼くがやき。・・・」
これでもまだほんの一部やけんど、日本一の鰹好きの高知県人やちナルホドと納得するような、おいしい理由、明確な理論が存在しちゅうがよ。
中でも、最も「こりゃすごい!」と感動したがは、「鮎の塩焼き」と「鱧の骨切り」の部分ながやき。
あのシンプルな鮎の塩焼きを、よりおいしゅうするために進化させたっちゅうがやき、こりゃまっことスゴイことながよ!
「鮎の頭は唐揚げ状態、お腹は身も内臓も火は通っちゅうけんど、香りまでは焼ききらん。ほんで、尻尾は干物。一尾の中に三つのテクスチャーを有する。」
「鮎を焼く1時間ばあ前から、炭を入れる。焼き台全体が完全に温まった状態から焼き始めんと、焼き台に熱を奪われ、うまいこと熱が対流せんがやき。」
「表側を焼きゆう途中で、下アゴの関節をはずし、鮎の口を開けてエラぶたの両方を開かせるがよ。表面積が大きゅうなり、水分が飛びやすうなる、と同時に、頭は下を向いちゅうき、大きゅう開いたエラぶたが内臓からの脂をすべて受け入れる働きをするがやき。」
「ほんで、内臓が十分に熱せられたら、胆のう膜をつついて破るがよ。そうすりゃあ、胆のうの苦みが広がり、1か所だけやのうて、まわり全体が、ほろ苦うなるがやき。おいしい面積が増えるがぜよ。」
これでもまだ鮎の塩焼きについての内容のごく一部やけんど、こぢゃんと鮎に対する哲学が伝わってこんかよ?
まっとスゴイがが、鱧ながよ。
山本さんは、鱧の骨切りをさらに進化させるために、鱧をCTスキャンにかけて、こと細こうに調べたっちゅうがやき。
それによって、これまで誰っちゃあやってなかった鱧の「必殺の切り方」が、ついに判明したっちゅうがよ。
この鱧の骨切りや、鮎の塩焼きらあについちゃあ、YouTubeで料理映像を一般に公開しちゅうらしいきに、これまたまっことスゴイことながやき!
ほいたら、山本さんが「思想や哲学らあを語った文章」から、いくつかワシがグッときた部分を、ごく一部以下に抜粋さいていただきますぜよ。
【理(り)を料(はか)る。】
●その根拠を突き詰めた「理」がなけりゃあ、「料理」たぁ言えんがぜよ!
●そういう、思いをもって伝えろうとする行為が、料理になるがやき。
【日本料理たぁ何ぞや。】
●日本料理にゃあ高い精神性がある。その精神こそが、日本料理のアイデンティティやと思うがよ。
●その料理を見たとき、味おうたときに、そっから日本ならではの、季節感や素材感をとらえることができ、それを愛でることができる。ほんで、確かな素晴らしさを感じとったときにゃあ、そこに日本人としての誇らしい気持ちが宿る。この国に暮らすことや、自然環境を心から愛することができる。それが日本料理やと思うがです。
【「切る」っちゅうこと。】
●ミクロのレベルで「切れて」ないと、切る意味がない。身に対し、「正しい動き」で包丁が「通り過ぎる」きに、そこにあるもんが物理的に切れてしまう。そういう感覚で切ることが大事ながやき。
●お造りっちゅう料理は人間が作るもんやのうて、元々魚が持っちゅうもんを取り出す仕事ながよ。(中略)切れちゅうお造りは切った断面が料理であり、包丁が通り過ぎた断面をごちそうに変えるばあに切れてなけりゃあならんがやき。
【日本料理の可能性。】
●日本料理は正しゅう修業する必要がある。こりゃあ何より重要なことながよ。けんど、伝統を重んじるあまり、そっから一歩も出てないがやないろうか。先人らあのやり方を、なぞらえることだっけが、はたして今、大事なことながやろうか。もちろん、先人が至った境地を探るべく料理をする方法もあるがやき。なんで、先人らあはこんなやり方を考えたがやろう。その真意はどこにあったがか。そんなふうに「古き」をたずねるこたぁ、こぢゃんと大事ながよ。けんど、そこに留まるだけやのうて、「新しきこと」を作りあげる。つまり、温故知新こそが今、求められちゅうことながやないろうか。
●料理は発展していくもんながやき。なんでかゆうたら、昔と今じゃあ、環境が違う。10年前、20年前と今じゃあ、キッチンツールにしたち情報にしたち享受するもんが違うがよ。にもかかわらんと、昔の人らあがそんときに至った境地(もちろん、当時は最高やったもんやけんど)を愛でゆうばっかし・・・。昔の人が「今」のワシらあを見たら、おまさんらあのまわりにどれっぱあ夢のような素晴らしいもんがあるがか、認識しちゅうがか。なんで、それを活用せんと過去のまんまを踏襲しゆうがか。そりゃあ怠慢やないがか。そう言われるに違いないと思うがやき。おまさんらあは何をしゆうがかと、先人らあから問いかけられゆう気がして仕方ないがぜよ。
【おざなりになっちゅうこと。】
●日本料理で大事にされちゅうことは、季節感や素材感やけんど、実はおざなりになっちゅうことが三つあるがよ。
★香りの重要性
★温度の管理
★火入れに対する追求
ほんで、この三つに日本料理の完成度をさらに高める鍵が隠されちゅうがやないかと思うがやき。
●昔は、この病気にゃあ開腹手術っちゅう外科的手段が一番やった。現在はおんなじ手術でも、内視鏡で数分でできる時代になっちゅう。治したい病気はおんなじやち、方法は進化しちゅうがよ。「おいしさを伝える」がもおんなじこと。おんなじ目的をとらえるためのプロセスなら、どんどん進化したちえい。料理は、時代とともに、おいしさや感動を伴うた、進化していくもんやないとイカンと考えるがぜよ。
料理本「日本料理 龍吟」・・・こりゃあある意味、停滞しちゅうあらゆる業界にとっての参考書、哲学の書にもなるがやないろうかのう。
日本料理 龍吟
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