今回は、著名なCMディレクターの今村直樹さんのご著書、「幸福な広告」〜CMディレクターから見た広告の未来〜(今村直樹 著 羽鳥書店 2600円+税 2012年11月8日初版)をご紹介しますぜよ。
実は以前、BSフジのミニ番組「まちのたね」(毎週月曜日21:55〜22:00)の制作で、佐川の「地乳(ぢちち)」吉本牛乳さんの取材に来られ、ワシもチビッと出演さいてもうて、そん時に今村さんたぁ初めてお会いしたがやき。
その後、先月の11月9日にも佐川にいらっしゃり、司牡丹の酒蔵見学のご案内らあもさいてもうたり、昼食の席でこぢゃんと話が盛り上がったりした(「11月12日」のブログ参照)がよ。
そん時に、ワシゃあ今村さんから、このご著書をいただいたがやき。
こん中にゃあ、佐川の「地乳」ネタも掲載されちょって、地デザイナーの迫田さんや佐川町役場の和田さんらあと共に、ワシもチラッと登場しちゅうっちゅうことで、ご著書をいただいたっちゅう訳ながよ。
今回は、そのいただいたご著書をご紹介さいていただきますぜよ。
さて、実は近年、司牡丹じゃあ、ハッキリゆうて広告宣伝費は年々削りよって、今年あたりじゃあもはや削りようがないばあ微々たるもんになっちゅうがやき。
さらにCMとなりゃあ、まっと少のうて、もはやネズミのハナクソみたいなもんながよ。
ほんじゃき、今村さんにゃあまっこと申し訳ないがやけんど、実は「幸福な広告」とか、「CMディレクターから見た広告の未来」とかっちゅうタイトルを見たち、最初はあんまり響かんかったがやき。
けんど、ワシ自身も登場しちゅうらしいし、佐川の「地乳」や迫田さんや和田さんらあも登場しちゅうらしいし、他にも高知県在住のかの有名なデザイナー梅原真さんらあも登場しちゅうっちゅうことで、せっかくいただいたっちゅうこともあるきに、とりあえずっちゅうことで読みはじめたがよ。
ほいたらイキナリ冒頭の「はじめに」のページで、ググッと引き込まれてしもうて、最初に感じちょったことが吹っ飛んでしもうて、一気に読破してしもうたがやき。
本書によりゃあ今村さんは、2010年から2011年にかけての1年間、早稲田大学大学院公共経営研究課で、50代半ばにて学生になっちょったっちゅうがよ。
入学と研究の動機は、「人と社会が幸福になる広告のありかたを学びとうて」っちゅうことらしいがやき。
ほんで「はじめに」にゃあ、以下の通り書かれちゅうがよ。
「広告が(あるいはCMが)、のうなるこたぁないけんど、えい時代はとっくに終わっちゅう。たぶん、80年代から90年代のはじめにかけてを、ピークに。広告の黄金時代を支えてきたがが、右肩上がりの経済成長や、潤沢な広告費やったとしたら、これからの広告を支えるがは、何やろう?これからの人と社会にとって、価値のある広告たぁどんなもんやろう?それを考えたいと、ワシゃあ思うたがやき。」
「そのためにゃあ、これまで広告を支えてきたもんたぁ別の方向にある、いや、むしろ、真逆の方向にある何かを探ることになるやろう。中央より地域、一極集中型より多極分散型、一方通行的より双方向的、大量生産・大量消費・大量廃棄の社会より循環型社会、ほんで、信頼が失われた社会より高信頼社会。」
「もしかしたらそりゃあ、地域の社会や企業のための広告かもしれん、ちゅう予感がワシにゃああったがよ。地域にこそ、注目すべきモノ作りをする人がおったり、志の高い先見性のある企業があって、『地域の時代』とも言うべきもんを感じちょったがやき。(中略)そんな地域の疲弊した姿を前に、これまでワシらあが手がけてきたような大企業の広告たぁまったくスケールは違うけんど、地域社会が復興するために、広告が重要な役割を果たすに違いないがよ。そんな思いを抱くクリエイターも少のうないはずながやき。大学院のさまざまな分野の授業や教授らあから学んだことで、日本が直面する喫緊の課題やとワシが感じたこたぁ、まさに〈疲弊する地域社会の現実〉、ほんで〈地域を活性化するっちゅう課題〉やったがよ。ワシの研究論文のテーマは、ズバリ、『地域活性化と広告』になったがやき。(中略)めざすゴールは、人と人、人とモノ、人と社会が信頼でつながり、そこに幸福が生まれる広告ながぜよ。」
この「はじめに」のほんの一部を読んだだけやち、ワシらあみたいに地方でビジネスしゆうもんにとっちゃあ、こぢゃんとグッとくるろうがよ?
さて、その後の第1章は、「ところで、広告ち何やろう?」っちゅうテーマ。
続いての第2章は、「信頼を生む広告、信頼で生む広告」っちゅうテーマながやき。
ほんでお次の第3章は、「広告の制作現場から」っちゅうテーマで、「サントリーウーロン茶」「キューピーマヨネーズ」「いいちこ」「ソフトバンク」らあの名作広告の誕生秘話らあを紹介しちゅうがよ。
さらに「ビッグアイデアの広告」として「そうだ京都、行こう。」「違いがわかる男」「Pricelessキャンペーン」らあの広告も詳しゅう紹介し、「幸福な広告制作の現場に共通すること」を挙げちゅうがやき。
そりゃあ「効果的な広告は、広告主と制作者のリーダーの信頼関係によって生まれる」っちゅう、ただ一点やっちゅうがぜよ。
続いての第4章は、「地域のデザインと広告の制作現場から」っちゅうタイトルで、いよいよ高知県の事例らあも登場するがよ。
まずは「本質のデザイナー・梅原真」のサブタイトルで、「しまんと緑茶」[四万十ドラマ・畦地履正]、「やんばる ふんばる」[沖縄県国頭村]、「とさのかぜ」[高知県]らあが紹介されちゅうがやき。
続いてのサブタイトルは「地デザイナー・迫田司」。
「山間米」[山間米組合・中脇裕美]、「地乳」[高知県佐川町]らあが紹介されちゅうがよ。
おっ!「地乳」の命名由来の紹介部分で、ワシの名前も出ちゅう!出ちゅう!
ちなみに、この章でワシがナルホドと膝を打ったがは、梅原さんと迫田さんっちゅう2人のデザイナーの違いを表現しちゅう部分ながやき。
今村さんは、梅原さんを「俯瞰したくから本質を見て全体を設計するデザイナー」やとし、迫田さんは「より低い目線で本質に寄り添うてコミュニケーションを組み立てるデザイナー」やっちゅうがよ。
また、こういう表現でも表されちゅうがやき。
「梅原真にとって、依頼人は、いっつも『志をもった個人』ながよ。いや、そうやなけりゃあならんがやき。依頼人が、もし個人の姿が見えん組織やったり、志のない個人やったら、梅原は仕事を引き受けんろう。その姿勢は、徹底しちゅうように思えるがよ。」
「だれが、何をやりたいか。キーマンを見つけ、『どんどんその気にさいていく』ことこそ自分の仕事やと、迫田は考えるがやき。その『思いを持った個人』に向き合う姿勢は、梅原とおんなじながよ。違いは、あるとすりゃあ、梅原が圧倒的な指導力を発揮するがに対して、迫田が相手とのより対等な関係や、デザイナーとしての匿名性を指向しがちやっちゅう点のみ。けんどそりゃあ、迫田の『人柄』とも言うべきもんやろう。」
梅原さんと迫田さんの2人を知っちゅうもんにとっちゃあ、さすがは一流のクリエイターの洞察力やと思いっきり納得してしまうがやき。
さらにこの第4章じゃあ、「口蹄疫問題をめぐって」[宮崎県×日高英輝]、「一乗谷・町おこしプロジェクト」[福井市×佐々木宏]らあも紹介されちゅうがよ。
ほんで今村さんは、「キーになるがはいっつも『思いや志を持った個人』や。」と結論づけるがぜよ。
最後の第5章は、「幸福な広告へ――CMディレクターから見た広告の現在と未来」っちゅうタイトルながやき。
ほいたらこのラストの第5章から、ワシがグッときた部分を以下にいくつかピックアップさいていただきますぜよ。
「そこ(地方)で必要とされるがは、人・モノ・文化など、地域資源の魅力や価値を、都会の生活者ばっかしやのうて、当の地域住民にまで伝える広告、ほんで、いわゆる観光スポットをアピールするだけやない、その土地の精神的な価値や将来のビジョンを示すような広告ながよ。いや、真に求められちゅうがは、社会的な課題を解決するためのコミュニケーションをデザインすることやって、広告はその一部にすぎんこたぁ、すでに述べてきた通りながやき。」
「かつての『地域の広告』と『これからの地域の広告コミュニケーション』で一線を画すがは、関係性への視点ながよ。広告主と制作者がおって、そこで生まれた広告メッセージを、地域住民や都市生活者に一方通行的に伝えるがが、『地域の広告』ながやき。それに対して、生産者・地域住民・都市生活者・自治体行政・地域企業・NPOらあの組織、それらあにつながりや協働の関係性をもたらすコミュニケーションこそ、『これからの地域の広告』に重要ながぜよ。」
「『地域の広告やデザイン』と『大企業の広告』の間にある、埋めがたい大きな隔たりたぁ、端的に『おかね』ながよ。(中略)地域の広告やデザインの仕事たぁ、そういうもんであるらしいがやき。それやに、彼らを幸福そうに仕事に向かわせゆうもんは、一体何ながやろう?おかねにゃあ換えられん、おかねで量ることのできん何かがそこにあるからやないか、とワシゃあ思うがよ。いまの広告(東京で作られる大企業のそれ)にいちばん欠けちゅう、何かが。たぶん、そりゃあ、『ゆたかさ』ながやき。広告は、まぎれものう経済活動の一部分であるけんど、金銭的報酬っちゅう交換可能な価値やのうて、与えることによって“贈与”と呼ばれるもんに近い何かが、地域の広告やデザインの世界にゃああるがよ。そりゃあ、人とのつながり、あるいはコミュニティへの帰属感のようなもんやないろうか。そんな人間本来のゆたかさを、とりわけ、地域に暮らし一次産業や風景を守るためにこそデザインがあると考える梅原や迫田から感じるがやき。つまり、『おかね』の
こたぁさておき、本質的に『ゆたか』ながぜよ。」
「ひとたび、大企業と大手広告代理店や制作会社のルーティンワークから、広告の未来を、地域や、小規模でも志の高いモノづくり(工芸・農業・食品など)をする人や企業に目を向けたとき、その可能性(人とのつながりや社会との帰属感を得る可能性)は無限に広がっちゅうように見えるがよ。ワシの『予感』が正しけりゃあ、『おかね』は、これまで広告の世界を支えてきたもんたぁ比べもんにゃあならんけんど、その方向に確実に流れて行くはずながやき。なんでかゆうたら、いま、人が欲しいと思うもんが、大量生産・大量消費を前提とするモノやいわゆるブランド品らあから、地域で生まれるモノ、生産者の思いが伝わるモノ、環境との親和性が高いモノへ、つまり『おかね』から『ゆたか』へと、確実に向かいゆう気がしゆうきに。」
さらに今村さんは、あらゆるモノづくりの世界に興味を持たれちょって、ご自身が共感したモノやショップや企業のために、だれに頼まれたっちゅうわけでもないに、「勝手にコマーシャルを作る」っちゅう試みをはじめられたっちゅうがよ。
それも、CMができていくプロセスを、すべてオープンにしたっちゅうがやき。
ブログに共感してくれたすべての人とリンクし、相手(クライアント)とモノづくりへの思いをシェアーして、あくまでもフラットで対等な関係で、コマーシャルを作ったっちゅうがよ。
それを、今村さんは「オフ・コマーシャル」と名付けるがやき。
オンエアーに対するオフ、ブロードウェイに対するオフ・ブロードウェイのような意味で、オフ・コマーシャルやっちゅうがよ。
「DIGAWEL」、「シャボン玉石けん」、「枡一市村酒造場」らあと共感し、オフ・コマーシャルが創り上げられていく過程は、感動もんながやき。
ほんで今村さんは、こうも述べられちゅうがよ。
「大量生産されるもんやのうて、かとゆうて作品でも、手づくり少量生産でもない『中間的なモノ』が、これからの時代に重要性を増すがやないろうか。」
「『中間的なモノ』の広告は、大量生産・大量消費のモノのそれと違うて、単にイメージじゃのうて、背景にある価値を表現するもんになる、とワシゃあ考えちゅうがよ。三つのオフ・コマーシャルが、いずれも、モノづくりをする人や、モノづくりの精神を描くことになったがは、偶然やないがやき。」
この「中間的なモノ」の件りは、ワシが常々感じちょったことを見事に言葉にしてくださっちょって、「そうそう!それよ!」と思わず膝を打ちまくったがよ。
たとえば日本酒やち、いま一番品質アップに注力しちょって、一番美味しいがは、実は「中間的な」蔵元ながやないろうか。
大手NB蔵は量産経済酒で価格勝負に明け暮れゆうし、ほんまにちんまい少量生産蔵は、ただ漫然と昔のまんまの地酒を造りゆうだけやったり、逆にちくと1商品だっけ品質のえいもんを造ってそれが人気が出たらすんぐに品切れして幻の酒になってしまう・・・。
いまよう売れゆうがは、そんな量産経済酒か幻の酒かの両極端になってしもうて、「中間的な」蔵はあんまり話題にゃあされんみたいな風潮があるような気がするがやき。
けんど、いま一番品質アップに一生懸命で、一番美味しさがグレードアップし続けゆうがは、実は「中間的な」蔵の日本酒ながぜよ。
この書籍を読んで、ワシらあ「中間的な」蔵がやり続けゆう努力は無駄やないと、あらためて確信さいてもうたがよ。
「幸福な広告」・・・広告っちゅう狭い分野だけやのうて、経営全般や企業の使命や生き方にまで踏み込んだ、こぢゃんと深みのある書籍やき、広告費の少ない地方のあらゆる企業や団体らあこそ、一番参考になる必読の書やと思うがぜよ。
今村さん、素晴らしいご著書をいただき、まっことありがとうございました!
幸福な広告―CMディレクターから見た広告の未来
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