「日々の幸福は精密な秤(はかり)ではかるべきやないぜよ。」(ゲーテ)
2月6日(水)の高知新聞朝刊「小社会」に、この言の葉は掲載されちょったがやき。
「小社会」の記事じゃあ、まず、福岡市在住の女性が高知の津野町にて「泳げる川がある」っちゅうて誇らしげに語ったっちゅう話題を紹介。
続いて、土佐経済同友会のアンケートで「県内の川で泳いだことがある」と答えた県民は9割近いっちゅう話題を紹介しちゅうがよ。
ほんで、高知県じゃあ中山間地はむろん、高知市の鏡川やち市街地からちくとさかのぼりゃあ泳げる場所があることを取り上げ、それを自然の豊かさを示す一つの物差しになるやろうと述べるがやき。
続いて、同会が掲げる「日本一の幸福実感県・高知」についてを紹介。
経済らあの客観的データは下位に低迷しちょったち、高知らしい豊かさや幸せはあるがやないかっちゅうことながよ。
アンケートは、それを評価するための指標作りに向けて実施されたもんながやき。
アンケートじゃあ、自然の豊かさのほか、温暖な気候、食材の豊かさや安全、人々の元気さらあで、多くが肯定的に捉えちゅうっちゅうがよ。
逆に、否定的な回答は、学びの機会や防災らあの項目で多かったっちゅうがやき。
けんど、マイナス面はあったち、7割近うが「高知で暮らしよって幸せ」と感じちゅうっちゅうき、満足度はかなり高いっちゅうがよ。
ほんで、主観的な評価の意味を問う声は当然あるやろうけんどっちゅうた上で、このゲーテさんの言の葉を紹介しちゅうがやき。
「日々の幸福は精密な秤ではかるべきやないぜよ。」
人々が暮らしに満足しちゅうことが大事ですよ、ちゅうふうにも聞こえるっちゅうがよ。
確かに、日々の幸福を精密にはかろうとすりゃあするばあ、チンマイことをどっかの誰かさんと比べたりすることになるき、その行為自体が幸福感を減ずることになってしまいがちながよ。
どっかの誰かさんの感じる幸せやのうて、つまり他人の物差しではかるがやのうて、いまの自分自身が幸福感を持って日々暮らしゆうかどうかながやき。
日々の幸福っちゅうもんは、精密さやのうて、まっと大雑把な感覚の方が大事やっちゅうことながやないろかのう。