「よう、あの人はまだ自分探しを終えてない、らあて言う人がおるけんど、そもそも自分たぁ、探すもんやあない。自ら創り出すもんながぜよ。」(トマス・サズ)
ハンガリー生まれの米国の精神医学者、トマス・サズさんの言の葉ながよ。
確かに「自分探し」っちゅう言葉はよう聞くけんど、「探す」っちゅうたらどういたち、もともとあったもんを見つけに行くっちゅうニュアンスになるがやき。
なんか「理想的な自分」がどっかにあって、それを見つけに行くっちゅう感じながよ。
ほいたら、「探す」っちゅう行為そのもんに重点が置かれがちながやき。
深うに自分を見つめるこたぁ大事やけんど、あんまり「探す」行為そのもんばっかしに重点を置いたち、おそらく求めゆうもんが見つかるこたぁないがよ。
見つかるもんは、おそらくちんまい種みたいなもんながやき。
結局、そのちんまい種みたいなもんに、水をやったり、光をあてたりしもって、自分で育てていかにゃあイカンがよ。
これをトマス・サズさんは、「探すもんやあない。自ら創り出すもん」やっちゅうて表現しちゅうがやないろうか。
探すことよりか、それを育てること、創り出すことの方が重要やと言いたいがやないろかのう。