2013年04月11日

新時代の生き方を示す「評価と贈与の経済学」ぜよ!

 今回は久々のお薦め書籍、「評価と贈与の経済学」(内田樹 岡田斗司夫FREEex 著 徳間書店 〈TOKUMA POCKET 007〉 2013年2月28日発行 952円+税)をご紹介さいていただきますぜよ。「評価と贈与の経済学」.jpg


 この書籍は、全く異なるフィールドで活躍する2人の知の匠が対談した、その内容をまとめたもんながよ。著者2人.jpg




 著者の1人、内田樹(うちだ・たつる)さんは、思想家であり、武道家でもあり、専門はフランス現代思想、武道論、映画論っちゅう、神戸女学院大学名誉教授ながやき。


 もう1人の著者、岡田斗司夫 FREEex(おかだ・としお・ふりっくす)さんは、オタク系ビジネスのカリスマであり、株式会社オタキング代表、FREEex代表(FREEexたぁ、岡田さんが設立した、社員が給料を払うっちゅうユニークな組織)を務める社会評論家であり、大阪芸術大学客員教授ながよ。


 そんな、全く正反対で、何の共通項もなさそうなお2人が対談するっちゅうだっけでも、なかなか面白そうながやけんど、そんな異質な2人の見えちゅう未来がほぼ同じやったっちゅう点は、まっこと驚くべきことながやき。


 価値観も感性も全く違う異分野の巨匠の2人が、目からウロコの現代社会の分析を披露しあい、未来はどうあるべきか、ほんで未来はどうなるからあを語り合うちゅうがやけんど、その対談途中は、徹底的に意見が違うちょったり、微妙に似通うちょったりしながらも、最終的な「未来はこうなる」っちゅう点についちゃあ、ほぼ完全に一致しちゅうがよ。


 内田さんの語る「贈与経済」と、岡田さんの語る「評価経済」は、まるで同じ風景を反対の位置から見ゆうように似いちゅうがぜよ。


 ちなみに、本書の裏表紙の紹介文にゃあ、以下の通り紹介されちゅうがやき。2013.4.11裏表紙.jpg



 『本書で示されるがは、新しい「交易」と「共同体」のありかた。貨幣も、情報も、評価も、動きゆうところに集まってくる。ならば、ワシらあはどのような動きをする集団を形成すりゃあえいがか。そのために個々ができる第一歩とは。キーワードは「情けは人のためならず」。若者と年長者の生態を読み解き、ポストグローバル社会での経済活動の本義にせまる変幻自在の対談。笑うて、うなって、ひざを打つこと間違いなし!』


 確かにワシも、思わず吹き出したり、ニヤニヤしたり、「ナルホド!」とうなったり、「そうか!」とひざを打ったりが何度もあって、楽しみもって読み進めることができたがよ。


 ほいたら、ワシがうなったり、ひざを打ったりした部分のごく一部を、ちくと以下に抜粋してご紹介さいていただきますぜよ。


●例えば、なでしこジャパン。いま流行っちゅうなでしこジャパンで感動するがは間違うてないよね、と寄りかかっちゅうだけ。あるいは、いまこの人やこの会社がバッシングされゆうき、自分としちゃあなんとも思わんけんど、みんなあとおんなじようにバッシングしちょきゃあ間違いないよね、って。ワシゃあ「イワシ化」っちゅうて呼びゆうがやけんど、社会がイワシ化しちゅうがやき。(岡田)


●みんなあ身体性を取り戻したいと思うちゅうがやなとわかる。「イワシ化する社会」っちゅうんは「脳化する社会」っちゅうがとおんなじことやと思うがよ。みんなあが頭で考えて、脳だっけで判断するきに、その選択が自分の生きる力を高めるか、生き延びる可能性を高めるかっちゅうことを吟味せんと、ふらふらマジョリティについてゆく。ほんじゃき、ふつうやったらそんな極端なところまで行く前に気がつくはずの、極端に反生命的なことをして、「心が折れ」たりする。身体から送られてくる「こっちに行ったほうがえいよ、そういうこたぁせんほうがえいよ」っちゅう生命についての情報を無視して、頭だっけで考えゆうきやと思うがやき。(内田)


●いま若い人に一番足りんがは、「努力あるいは才能に対する報酬は、いつか必ず来る」っちゅうことに対しての素直な信仰やと思うがよ。これっぱあ努力したきに、遅滞のう報酬をよこすように、納品したらすんぐに金払え、「キャッシュ・オン・デリバリー」っちゅうんは、要するに相手を信じちゃあせん人間の言いぐさやきにのう。(内田)


●(「FREEex」とは?)ワシの本を一緒に書く。岡田斗司夫との共同作業ながやき。社員になってまで入ろうっちゅうこたぁワシのファンなわけながよ、絶対に。で、そういう人らあと仕事をしたほうが効率がえいに決まっちゅうやろうと。これまでの考え方ち、一緒に働きたいっちゅうて言うた人にお金を出すわけながやき。そうすりゃあ内田先生が本で書いちゅうとおり、労働者はもっとも多いお金をもろうて、もっとも少ない労働をしょうと考えるし、雇用側はもっとも少ないお金でもっとも多い労働をさせろうと考えるに決まっちゅう。時間が経つにつれて、だんだん関係がゆがんでくる。それやったらお金を払うて、労働の権利を買うてもらう。雇用者から見たらどんだけやち仕事してくださいと。働いて一緒に本を出しましょうと。本におまさんの名前を載せましょうと。ワシゃあ個人で上場したみたいなもんながよ。彼らは株主であると同時に従業員でもある。ワシの使用料、利用料を払いゆうわけながやき。ほんじゃきワシを自由に操れる。(岡田)


●日本はこれからどうなるかっちゅうたら、間違いのう、少子・高齢化が進んでゆく。市場が縮んでゆく。(中略)問題は、そのなかで、手持ちの「ありもの」の資源を使い回して、それをどうやってフェアにかつ効果的に配分するか、それだけながよ。相対的に見て、未来につながるような活動に優先的に資源を分配することになるわけながやけんど、そのときの分配のやり方っちゅうたら、もう「贈与」しかないがやないかと思うがやき。「ワシゃあもう十分楽しんだき、もういらん。あとは若い人らあ、がんばりや」っちゅうて。相対的に資源に余裕のある人が若うて貧しい人らあに「チャンス」を贈る。そりゃあ起業資金でもえいし、授産機会でもえいし、ネットワークや情報でもえいし、「食える技芸」でもえい。とにかく、年長世代からの「がんばってね」っちゅうフレンドリーな贈与が社会的フェアネスを基礎づける、そういう時代に必ずなると思うがよ。だって、どう考えたち、それ以外にソリューションがないきに。(内田)


●ワシゃあそういうもんを「拡張型家族」っちゅうて呼びゆうがやき。結局家族の最低単位ち、面倒を見る人と、見られる人ですよね。ちゅうことは人間と金魚やち家族関係は成立する。ペットを抱きもって「この子うちの家族なが」「ワタシがおらにゃあこの子は生きていけんがやき」っちゅうおばさんの言葉が真摯なもんとして響くがは責任感があるきに。責任感が発生した瞬間にこりゃあ家族として成立しちゅうわけながよ。(岡田)


●人間の生きる世界で、人間的な秩序を保つっちゅうんはエンドレスの作業ながやけんど、お掃除をしよったら、その宇宙の真理に目覚めるわけ。うん、宇宙の真理。だって、ワシらあがいま当然のように生きちゅう文明的な空間ち、誰かが必死になって無秩序を世界の外に押し戻す仕事をしてくれたおかげで、ようやっと確保されちゅうもんながやき。道を気楽にすたすた歩けるがは、誰かがワシらあが起き出す前に、一生懸命「雪かき」仕事をしてくれた結果やろう。そういうふうに、当たり前に見えることが実は無数の人間的努力の総和ながやっちゅうことを思い知るち、ホンマに大切ながよ。掃除をしよったら、人間の営みの根源的な無意味性に気がつくがやき。(中略)そのとき初めて、意味がないように見えるもんのなかに意味がある、はかなく移ろいやすいもんのうちに命の本質が宿っちゅうっちゅうことがわかる。そうなりゃあ、落ち葉を見ても、日没を見ても、小川のせせらぎを見ても、クモの巣にかかったハエの断末魔の様子を見よったち、そこに一掬の涙をそそぐ
っちゅうふうに子どもが変わってゆく、結構早うに。田舎に放り込んで、雑巾がけをやらせりゃあもうすぐに変わる。ホンマにようできちゅうと思う、「えいから黙って掃除をしなさい」っちゅう教育法は。ワシが知る限り、掃除ほど効果的に人間の宿命や世界のありように気づかせる方法っちゅうんはないような気がするがよ。(内田)


●コミュニティじゃあ、自分が誰かの世話をしたち、その世話が返ってくるかどうかわからんがやき。そうした不明瞭さがあるきに、面倒に感じるがじゃろう。もっと巨大なシステムがその人の視線や価値観に入っちょったら、「情けは人のためならず」の原理が働くっちゅうんがわかるはずながやけんど。ちんまいコミュニティを短期スパンでとらえてしもうたら、なにか人に貸して返ってこんと、その一回目で懲りてもう二度とせんようになる。(岡田)


●人の世話をするっちゅうことを、自分が「持ち出し」でやりよって、その分「損をしゆう」っちゅうふうに考えるところに最初のボタンの掛け違いがあるがやと思う。贈与からはじまるがやないがやき。人のお世話をするっちゅうんは、かつて自分が贈与された贈り物を時間差をもってお返しすることながやきに。反対給付義務の履行ながよ。(中略)経済活動の基本原理そのものが「贈与と反対給付」ながやき。自分が経済活動の始点であるわけじゃないがよ。もう何万年も前からはじまっちゅう贈与と反対給付の長いサイクルのひとつのちんまい鎖にすぎんわけやきに。自分が経済活動の主体やと思うちゅうきに、贈与の意味がわからんなるがやき。(内田)


●親から面倒を見てもらいゆう子はペットを飼うことで初めて自分を確立する。あるいは、弟や妹の面倒を見ることで自分を確立する。自分より弱い人間がおって、つまり自分が養う人間がおって初めて自分が確立するわけですね。人間は強いもんに導かれて強うなるがやのうて、弱いもんをかばうことでしか強うなれん。生きる根拠がないと悩みゆう人らあは、他人に生きる根拠を与えることでしか、その悩みは解消されん。(岡田)


●自分が他人からなにをしてもらえるかより先に、自分が他人になにをしてあげられるかを考える人間だけが贈与のサイクルに参入できる。そりゃあその人の貧富とか社会的地位の高低たぁまったく関係がないことながよ。「まずはワシの努力と才能にふさわしい報酬をよこせ、話はそっからや」っちゅう人にゃあ永遠に贈与のロジックはわからんがやき。(内田)


●社会人っちゅうんはスキル、ネットワーク、ほんで人柄の三要素からできちゅうと思うがよ。(中略)贈与経済っちゅうもんがもし復活するがやとしたら、最後に人柄が出てくるきに、やっぱりえいやつっちゅう認知が欠かせんがやき。人となりを知ってもらわんと贈与経済は作動せんわねえ。スキルもネットワークも大切ながやけんど、贈与経済を見据えるやったら最終的に「えいやつながや」と思うてもらうことが大切やと思うがよ。(岡田)


●堤防に穴が空いちょって、そっから川の水が漏れ出しゆうとするやいか。それを見ても、「ワシにゃあ関係ない。堤防の管理運営はワシの責任範囲やないきに。」っちゅうてそのまんま通り過ぎるやつがおる。そのうち堤防が決壊して、街が洪水に沈んだち、その人は誰からも責められん。また別の人がおって、その人は堤防の穴を見つけて「おや、穴が空いちゅう」っちゅうて、小石で穴を塞いだとする。おかげで洪水は起きんかった。結果的にこの人は街を救うたがやけんど、誰も彼が街を救うたことを知らんし、本人も自分が街を救うたことを知らん。ほんじゃき、誰からも評価されん。けんど、もっとも上質な贈与っちゅうんは、こういうふうに本人も知らん、周囲の人も知らんのに、みんなあを救うようなことをしてしもうちゅうっちゅうもんやないかと思うがやき。(中略)彼が世界を救うたことの報酬は、「この人が世界を救うたがです」っちゅう外部評価によってやのうて、彼が今日も気分よう暮らしよって、「いい人オーラ」を自分でも気づかんうちに圧倒的に発散
しゆうっちゅうかたちで戻ってくるがやと思うがぜよ。(内田)







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