「存在することと生きるこたぁ、まったく別のことぜよ。」(オスカー・ワイルド)
「19世紀最大の芸術家」ともいわれた劇作家、オスカー・ワイルドさんの言の葉ながよ。
この言の葉は、「おまさんは確かに存在はしちゅうかもしれんけんど、ほいたら生きちゅうといえるかよ?」っちゅうて、オスカーさんから問いかけられゆうような気がするがやき。
「存在すること」と「生きること」の違いたぁ何か?
前者は、主体性も意志ものうたち成り立つけんど、後者は、主体性や意志がなけりゃあ成り立たんがよ。
つまり、主体性や意志を持ってこの世に存在しちゅうっちゅうことが、「生きる」っちゅうことながやき。
ほいたら、主体性や意志を手放してしもうたら、そりゃあもはや「生き」ちゃあせんっちゅうこと、ただ「存在」しちゅうだっけの無生物とおんなじやっちゅうことながよ。
『おまさんは、大切な1日24時間を、「生き」ちゅうといえるかよ?』
『ただ「存在」しちゅうだっけの時間が、結構ありゃあせんかよ?』
オスカーさんの言の葉は、ワシらあにそんなことを問いかけてくるがぜよ。