2013年04月20日

幸せの言の葉〈673〉

「存在することと生きるこたぁ、まったく別のことぜよ。」(オスカー・ワイルド)


「19世紀最大の芸術家」ともいわれた劇作家、オスカー・ワイルドさんの言の葉ながよ。


この言の葉は、「おまさんは確かに存在はしちゅうかもしれんけんど、ほいたら生きちゅうといえるかよ?」っちゅうて、オスカーさんから問いかけられゆうような気がするがやき。


「存在すること」と「生きること」の違いたぁ何か?


前者は、主体性も意志ものうたち成り立つけんど、後者は、主体性や意志がなけりゃあ成り立たんがよ。


つまり、主体性や意志を持ってこの世に存在しちゅうっちゅうことが、「生きる」っちゅうことながやき。


ほいたら、主体性や意志を手放してしもうたら、そりゃあもはや「生き」ちゃあせんっちゅうこと、ただ「存在」しちゅうだっけの無生物とおんなじやっちゅうことながよ。


『おまさんは、大切な1日24時間を、「生き」ちゅうといえるかよ?』


『ただ「存在」しちゅうだっけの時間が、結構ありゃあせんかよ?』


オスカーさんの言の葉は、ワシらあにそんなことを問いかけてくるがぜよ。


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