「人に魚を与えりゃあ一日で食べてしまうけんど、人に釣りを教えりゃあ一生食べていけるがぜよ。」(老子)
今回は、かの老子さんの言の葉ながよ。
確かにこの言の葉の通りで、人はスッと魚を求めてしまいがちやけんど、それじゃあその魚を食べてしもうたらおしまいながやき。
魚自体を求めるがやのうて、釣りの方法を覚えりゃあ、いつじゃち魚は手に入るっちゅうことながよ。
つまり、「魚」は「答え」であり、「釣り」は「問題解決法」っちゅうことながやき。
「答え」を求めるがじゃのうて、「問題解決法」を求めなさいっちゅうことながよ。
人を育てるときやち、「答え」を与えるがやのうて、「問題解決法」を与えなさいっちゅうことながやき。
「答え」を与えりゃあ、簡単で時間もかからんし、問題自体はスッと解決するかもしれんけんど、それじゃあ人はいつまで経ったち育たんがよ。
「問題解決法」を教えるにゃあ、時間も手間もかかるがやけんど、結局それが自ら問題を解決する力を身につけさせる一番の近道で、そうやって人は育っていくがやき。
ホンマに価値があるがは、「魚」より「釣り」、「答え」より「問題解決法」っちゅうことながぜよ。