「この世を動かす力は、希望ながよ。やがて成長して果実が得られるっちゅう希望がなけりゃあ、農夫は畑に種を蒔かんがやき。利益が得られるっちゅう希望がなけりゃあ、商人は商売に取り掛からんがぜよ。」(マルティン・ルター)
宗教改革の創始者で、プロテスタント教会の源流をつくったドイツ人神学者、マルティン・ルターさんの言の葉ながよ。
やがて成長して収穫が得られるっちゅうんは、農家にとっての「希望」であり、利益が得られるっちゅうんも、商人にとっての「希望」じゃっちゅう表現は、まっこと目からウロコやと思わんかよ。
特に商人にとって利益を得るっちゅう行為は、ちくと生臭いっちゅうか、何かいやらしいもんのように捉えられがちやけんど、確かにそりゃあ「希望」ながやき。
利益が商人にとっての「希望」なら、商人が利益を得るこたぁ何らいやらしいことやない、崇高なる行為ながよ。
商人は商売することによって、自らは利益っちゅう「希望」を手に入れ、他人にゃあ悦びっちゅう「希望」を与えるがじゃき、確かにそりゃあ崇高なる行為ながやき。
そしてそんな「希望」が、この世を動かす力じゃと、ルターさんは断言するがよ。
全ての人は、働くことによって、世の中に「希望」を増やしていくことができ、その「希望」こそがこの世を動かす力になるっちゅうことながぜよ。