「指をさして人を非難する前に、おまさんのその手が汚れちゃあせんか確かめとうせや。」(ボブ・マーリー)
ジャマイカの「レゲエの神様」、ボブ・マーリーさんの言の葉ながよ。
人を非難するがは、まっこと簡単なことながやき。
他人の欠点や落ち度は、ホンマにびっくりするばあ目につきやすいもんながよ。
けんど、自分の欠点や落ち度は、これまたびっくりするばあ、自分にゃあ見えんもんながやき。
ほんじゃき、他人の欠点や落ち度が目について、他人を非難しとうなったら、いったん「待てよ」と思うべきながよ。
その目についた分野じゃあ、自分にゃあ欠点や落ち度はないかもしれんけんど、別の分野やったら自分にやちおんなじような欠点や落ち度がありゃあせんかよ?
今、自分が非難しょうとしゆうことに似いたような失敗を、自分は今までいっぺんもしたことらあないかよ?
そんなふうにちくと考えてみりゃあ、非難の言葉は引っ込んでしまうがやないろうか。
それでも何らかの言葉が出てくるやったら、そりゃあ「非難」の言葉やのうて「助言」の言葉になるがやないろうか。
「非難」の言葉は結局拒絶しか生まんけんど、心からの「助言」の言葉は調和を生むがぜよ。