「新しい日本の愛し方」(茂木健一郎 著 新潮新書 2013年4月20日発行 680円+税)ながやき。

まず茂木先生は「まえがき」で、「日本がこれから、明るい希望を抱いてがんばるために、心を整えるための本。日本らあてどうせダメやと、投げやりになってしまうがやのうて、必ずようなる、ようしてみせると努力するための、スタートラインになる本。そんな思いで、この本を書いた。」っちゅうがよ。
ほんで、肝心ながは、「日本はダメや」っちゅう悲観論と、「日本はようなる」っちゅう楽観論のバランスのようなもんやと思うっちゅうがやき。
さらに、ふり返りゃあ、楽観論と悲観論のバランスが悪かったことこそが、今ワシらあがそれを脱そうとし始めゆう「失われた二十年」の特徴やったがかもしれんっちゅうがよ。
ほんで「まえがき」のラストは、「日本人よ、根拠のない自信を持て。それを裏付ける努力をせよ。偶有性の海に、飛び込め!」っちゅうて、力強う締め括っちゅうがやき。
ちなみに本書は、「新潮45」2012年3月〜12月号連載「日本八策 再生への処方箋」を改題、加筆・訂正を加え、「まえがき」を書き下ろしたもんながよ。
この原題から分かる通り、坂本龍馬さんの「船中八策」を基にしちゅうがやき。
ほんじゃき第一章は、『現代の「黒船」の正体』ながよ。
まず茂木先生は、現代の日本を襲いゆう困難の本質は、明治維新以降の「国づくり」においちゃあ有効やったさまざまな制度や方法の賞味期限が切れてしもうちゅう点にあるっちゅうがやき。
日本を覆うちゅう危機。そりゃあ、実は一面じゃあ日本人の優秀さにこそ起因しちゅうっちゅうがよ。
ほんじゃきその点に、問題の厄介さがあるっちゅうがやき。
日本人は、過去の成功体験にとらわれてしもうちゅうっちゅうがよ。
日本人は生真面目。ある一つのゲームのルールが与えられりゃあ、そん中で一生懸命に努力して、適応しょうとするっちゅうがやき。
つまり、過去の日本の成功をもたらした文脈への過剰適応が、日本の「失われた十年」「失われた二十年」の根本的な原因やっちゅうがよ。
一つの価値基準、一つの文脈から見りゃあ優秀やけんど、それに固執すりゃあ柔軟性を欠くことになる。結果として、日本の国内市場の中じゃあ通用するけんど、グローバル化した世界じゃあ意味を持たん制度やシステムが温存されることになってしまう。これが、今の日本の危機の象徴やっちゅうがやき。
それを象徴するがが、「ガラパゴス化」っちゅう言葉。ある視点から見てすぐれた「部分最適」にゃあなったち、全体から見た「全体最適」にゃあならんがよ。
つまりは、グローバルな地球社会に貢献するような価値に結実せんがやき。
そのことが、急速に「ソフト化」し、「ネットワーク化」する世界の中で、日本の変調、凋落をもたらしちゅうっちゅうがよ。
日本の「ガラパゴス化」は、大学を筆頭に日本の社会の全体を通して、かつては優秀やったさまざまな分野において劣化、陳腐化が進み、早急な対応が求められる事態となっちゅうっちゅうがやき。
いまや革新的な商品づくりを可能にするためにゃあ、モノが世界規模の情報ネットワークと結びついた、「ものづくり2.0」が必要ながよ。
もはやさまざまなモノが、それ単独で優劣を競い合う時代やないがやき。
むしろ、個々のハードの特性を超えて、世界的な情報ネットワークへの接続が最大の付加価値を生み出す時代。
iPhoneやiPadがその力を発揮できるがは、一般のインターネットや、アプリやコンテンツらあの情報ネットワークとの結びつきがあってこそながよ。
ほんじゃき茂木先生は、日本が、「ものづくり」の国から「ものづくり2.0」の国に脱皮できるかどうかやっちゅうがやき。
そこにゃあ、「明治維新」に比肩できるような、世界史的意義があると言えるっちゅうがよ。
ほんで、現代の「黒船」の正体は、そりゃあずばり「インターネット」と「グローバル化」やっちゅうがやき。
アメリカ発の、インターネットっちゅう文明が、従来のメディアのあり方、組織のあり方、ワシらあの働く日常、教育やキャリアの設計を激変させようとしゆうがよ。
また「グローバル化」の波は、多局化しつつある世界を結びもって、人々の生活に影響を及ぼしゆうがやき。
この、インターネット、グローバル化っちゅう現代の「黒船」の正体を見極めること。ここから、日本再生へのアクションは始まるっちゅうがよ。
あくまでも現状をきちんと認識した上で、「必ずうもう行く」っちゅう「根拠のない自信」を持ち、「それを裏付ける努力」を積み重ねて行きたいっちゅうがやき。
ここで茂木先生は、たとえば、幕末の日本で活躍し、今日に至るまでワシらあの心を魅了してやまん、坂本龍馬その人がかつて成し遂げたように・・・ちゅうて龍馬さんの名を挙げるがよ。
国家は有機的な存在であり、どっか一ヵ所だっけを変更したち、全体の改善につながるたぁ限らんがやき。
つまり、日本を改革する「処方箋」は、それがどんなもんやち、精緻なシステム論そのもんでなけりゃあならんっちゅうがよ。
対症療法やのうて、まっと腰を据えた、全体を見渡すような議論が必要やっちゅうがやき。
ほんで、龍馬さんの「船中八策」は、まさにそのような「システム論」やったっちゅうて、茂木先生は、今、ワシらあは「船中八策」ならぬ「日本八策」を必要としちゅうっちゅうがよ。
第一章のラストは、「日本の危機の本質の真摯なる検討と、未来への明るい希望をもって、「日本八策」の模索を始めろう」となっちゅうがやき。
そっから後は、第二章が『「本物の知性」を生む教育』っちゅうタイトルで、まずは日本人が一貫して苦手としてきたことが、現在の日本の家電メーカーの不調に表れちゅうと指摘するがよ。
インターネットに象徴される、「偶有性」(何がおこるかわからんこと)に対する適応ができん。また、部分最適を超えた、システム思考ができん。これらあの日本人の力不足は、ひっきょう、日本の教育システムの欠陥の表れに他ならんっちゅうがやき。
この章じゃあ、日本の教育の問題点についてを論じちょって、結論から言やあ、日本の教育プロセスは、「ペーパーテスト」の「点数」偏重やっちゅう点がイカンっちゅうがよ。
続いての第三章は、『「発信者」をつくるための教育改革』っちゅうタイトルで、日本の教育の改善方法について、具体的な施策を提案しちゅうがやき。
結論的にゃあ、「日本語を徹底的にやる」一方で、「英語を徹底的にやる」っちゅう、車の両輪で日本の教育を走らせるしかないっちゅうがよ。
お次の第四章は、『「息苦しさ」を打開する政治』っちゅうタイトルで、日本の現在の息苦しさを打開するための鍵は、政治にこそあるっちゅうがやき。
茂木先生は、政治はワシらあが呼吸する空気をつくりだす過程やっちゅうがよ。
政治は「空気清浄器」であり、「空気製造機」でもあるっちゅうがやき。
ほんじゃき、今の日本が息苦しいとすりゃあ、その第一の責任は、政治の文化の中にあるっちゅうがよ。
この章で茂木先生は、ビスマルクの「政治とは可能性の芸術である」っちゅう言葉を挙げ、意思決定のスピード感の大切さらあを語っちゅうがやき。
続いての第五章は、『日本の“弱さ”は、同時に“強さ”でもある』っちゅうタイトルながよ。
ここじゃあ、まず茂木先生は、変革をするにしたち、「あるべき姿」を思い浮かべることと、「そこに至る道筋」を考案することは違うっちゅうがやき。
明治維新の時とおんなじばあ「改革」は必要やけんど、それを実現するためにゃあ、「あるべき姿」と「現状」の双方に目配りをした架橋的議論が必要やろうっちゅうがよ。
続いての第六章は、『頑固な日本の「吸引力」』っちゅうタイトルながやき。
ここじゃあ、日本っちゅう「文化」のあり方の中にゃあ、大きな「吸引力」があり、その「吸引力」の真ん中に、「安らぎ」を与える日本の社会の成り立ちがあるっちゅうがよ。
外来のもんでさえ、「雑居的無秩序性」の中に取り入れて自分のもんにしてしまう。ここに、日本文化の吸引力の原泉があるっちゅうがやき。
この「雑居的無秩序性」っちゅう日本の特徴は、すなわち「生命」そのもんの本来のあり方やということもできるっちゅうがよ。
日本独自の思想は、その「生命観」にこそあるっちゅう指摘がなされてきたっちゅうがやき。
一方、たくさんのコンピュータが結びつけられたインターネットの世界は、ますます生命体に似てきゆうっちゅうがよ。
ほんじゃき茂木先生は、この国を前に進める道は、理論的にすっきりした原理主義の中にあるがやのうて、むしろ、「雑居的無秩序性」を引き受ける生命主義の中にこそあるがやないかっちゅうがやき。
さらに、世界が多極化し、容易に解決できんような「混迷」の中にある今こそ、ワシらあは、自分らあの内にある「雑居的無秩序性」と、それが体現する「生命原理」を、何らかの形で普遍化することを試みるべきながやないかっちゅうがぜよ。
お次の第七章は、「自分らあで勝手に動くしかない」っちゅうタイトルで、日本全体を新時代につれていく必要らあない、自分一人で、勝手にシステムを選択し、設計し、新時代へと飛び込んでいきゃあえいっちゅうがよ。
この後の解説は端折らいてもらいますけんど、第八章『国家の生理と原子の倫理』、第九章『新しい「幸福」の条件』、第十章『すべての道は日本に通じる』と続くがやき。
とにかくこんな具合に、日本再生の処方箋や、新時代を生き抜くヒントが満載の書籍が、新書で680円(+税)らあて、こりゃまっこと超お買得のお薦め書籍ながぜよ。
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