「忠告を受け入れられるもんは、忠告を与えるもんよりか優れちゅうことがあるがぜよ。」(カール・ルートヴィヒ・フォン・クネーベル)
ドイツの作家、クネーベルさんの言の葉ながよ。
この言の葉はまさに、一転語(迷いを転じて悟りをひらかせる一語)ながよ。
普通は、忠告を与えるもんの方が優れちゅうきに忠告を与えることができると考えてしまうがやき。
ほんじゃき、忠告を受けた方は、与えた方よりか優れてないっちゅうふうに思うてしまうもんながよ。
忠告を受けただっけで、ムッとしたり、ムキになって反発したりするもんやったら、確かにその通りかもしれんがやき。
けんど、忠告を素直に受け入れることができるもんは、忠告を与えるもんよりか、優れちゅうことがあるっちゅうがぜよ!
まさに一転語、ハッとさせられる言の葉ながよ。
どんな忠告にやち、悪意からのもん以外は、一片の真理は含まれちゅうもんながやき。
それにムッとしたり、反発したりするっちゅうことは、自分に自信がないっちゅう証拠ながよ。
本当に自信があるもんやったら、忠告に感謝して、素直に受け入れることができるはずながやき。
受け入れるっちゅうたち、忠告を無闇に全面的に受け入れるっちゅうことやのうて、その中に含まれちゅう一片の真理を見つけ出し、それを受け入れるっちゅうことながよ。
そうすりゃあ、どんなもんからの忠告やち、それを自分の栄養に変えることができるがやき。
そんなことができるもんが、忠告を与えるもんよりか優れちゅうっちゅうことながぜよ。