「『なりたかった自分』になるがに、遅すぎることらあ決してないがぜよ。」(ジョージ・エリオット)
英国ヴィクトリア朝時代を代表する作家の1人、ジョージ・エリオットさんの言の葉ながよ。
だいたい「なりたかった自分」の姿が、若い時からハッキリ分かっちゅう人らあて、いったいどれっぱあおるがやろうか。
たいていの人は、その姿はハッキリせんと、「こっちの方向やろか?」程度のもんやったり、その方向すらも定まらんと、アッチへフラフラ、コッチにフラフラしゆう人やち、少のうないはずながやき。
ほんで、いろいろ悩み考えもって時を刻み歳月を積み重ねていく中で、「なりたかった自分」の姿が自ずと立ち現れてくる・・・そんなパターンの人も結構おるはずながよ。
少のうたち、ワシ自身はそんなパターンながやき。
50歳を超え、今年52になるがやけんど、最近になってやっと、「なりたかった自分」の姿が立ち現れ、そこにピントが合うてきて、クリアな像が見えてきだいたっちゅう感じながよ。
ワシの場合、遅すぎるっちゅうほどやないかもしれんけんど、歴史上にゃあどう考えたち「遅すぎる」に、偉業を成し遂げた方もおるがやき。
かの日本初の日本地図を作った伊能忠敬さんらあて、あの「人生50年」と言われよった江戸時代に、50歳を過ぎて家督を息子に譲ってから、若いときからの夢やった日本地図作成を目指して測量らあの勉強を始め、「なりたかった自分」になろうとして偉業を成し遂げちゅうがよ。
やっぱし、60歳を過ぎたち80歳を過ぎたち、「なりたかった自分」になるがに、遅すぎることらあて絶対にないっちゅうことながぜよ。