「勇気たぁ、『恐れる必要がないもんは何ながか』を理解しちゅうことながぜよ。」(プラトン)
古代ギリシャの偉大な哲学者、プラトンさんの言の葉ながよ。
おそらくプラトンさんが言いたいがは、まずは「勇気」と、「単なる無謀」とは違うっちゅうことながやき。
「単なる無謀」は、無知が理由の蛮行ながよ。
そりゃあ猛り狂うて吠える野犬の鼻先に、手を差し出すような行為を言うがやき。
そりゃ手を咬まれたちしょうがないがよ。
「勇気」たぁ、まっと智恵を伴うた判断やっちゅうことながやき。
また「勇気がない」、つまり「臆病」やっちゅうこたぁ、本当に恐れる必要があるもんとそうじゃないもんとの違いが理解できてない、これまた智恵が足りんっちゅうことながよ。
例えば、新入社員が会社で初めて電話を取る時、凄い恐怖心を感じるもんながやけんど、そんなもん実は何ちゃあ恐れる必要らあないことばあ、チビッと智恵を使やあ分かることやろうがよ。
つまり、かのプラトンさんが考える「勇気」たぁ、「単なる無謀」な行動は起こさんし、さらに一見恐ろしゅう見えるもんやち、ホンマは全く恐れる必要らあないっちゅうこともシッカリ理解しちゅう、智恵者のみが持つことのできるギフトのようなもんじゃっちゅうことながぜよ。