「刈り取った収穫で日々を評価しなや。自分がどんな種をまいたかで評価するがぜよ。」(ロバート・ルイス・スティーブンソン)
「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」で有名なイギリスの作家、ロバート・ルイス・スティーブンソンさんの言の葉ながよ。
なんで、かのスティーブンソンさんは、「刈り取った収穫で日々を評価しなや。」っちゅうがやろうか?
そりゃあ「ある日刈り取った収穫」っちゅうんは、自分が過去にまいた種の結果でしかないきながよ。
あるいは、そりゃあもしかしたら、自分やない誰か、前任者や先達がまいた種がやっと実を結び、たまたま自分が刈り取っただっけのことかもしれんがやき。
それでも「結果が全てや」っちゅうて考える人もおるろう。
ある意味、営業的な仕事は、それで評価されることが普通かもしれんがよ。
けんど、みんなあが「刈り取った収穫で日々を評価」するだっけやったとしたら、そりゃあ自分が過去にまいた種や他人が過去にまいた種の結果を評価するだっけになってしまうがやき。
それだっけじゃあ、未来が置き去りながよ。
未来に収穫をするためにゃあ、過去や現在に種をまいちょくことしかないがやき。
たとえ「結果が全て」の世の中やったとしたち、たとえその収穫を自分が手にすることができんかったとしたち、それでも種を日々まき続ける・・・。
そんな人が1人もおらんかったら、明るい未来らあて拓けてくるはずらあないがぜよ。