「憧れたぁ、人の内に秘められた力を知らせるもんながよ。人がいずれ操ることができるようになる、能力の予兆ながぜよ。」(ゲーテ)
ドイツを代表する文豪であり、政治家・教育家・哲学者でもある、かのゲーテさんの言の葉ながやき。
誰やち「憧れ」は持っちゅうろう。
「あんな人みたいになりたい」とか、「あんなふうになれたらえいに」とかっちゅうんが「憧れ」ながよ。
ほんで、「憧れ」る対象は、人によって違うもんながやき。
何で人によって違うがか?
そりゃあ「憧れ」たぁ、その人の内に秘められた力を知らせるもんやきやと、ゲーテさんは喝破するがよ。
つまり、自分の内側にその種が備わってないもんにゃあ、人は「憧れ」を持ったりせんっちゅうこと、自分の内側にその種が本来備わっちゅうもんにのみ、人は「憧れ」を持つっちゅうことながやき。
ちゅうことは、その人がその種に太陽の光や水や肥料らあを与えて育んでいきさえすりゃあ、その「憧れ」は、いずれただの「憧れ」やのうなり、その人が操ることのできるもん、つまりその人は「憧れ」とおんなじようになれるっちゅうことながよ。
ほんじゃきゲーテさんは、「憧れ」たぁ「能力の予兆」やと、再び喝破するがやき。
この言の葉は、人生における大いなる福音やと思わんかよ?