「与え、受け取り、己を忘れる者が、自分自身を見つけることができるがぜよ。」(アッシジのフランチェスコ)
中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりで、フランチェスコ会の創設者として知られちゅうカトリック修道士、アッシジのフランチェスコさんの言の葉ながやき。
まず「与える」者っちゅうんは、自分の実力をもって人に悦びを与えることができる人っちゅうことやき、そりゃあ自分自身何が得意か、何ができるからあを知っちゅう人やっちゅうことながよ。
ほいたら「受け取る」者は?
実は、悦んで堂々と「受け取る」っちゅうんは、自分をシッカリ持っちゅう、器のデカイ人やないとなかなかできることやないがやき。
たとえば、1億円受け取るばあの器がない人が、宝くじとかで突然1億円を手に入れたとしたら、その後の人生がメチャクチャになってしもうたりするっちゅうことながよ。
そんな、自分の実力をもって人に悦びを与えることができ、受け取る時も悦んで堂々と受け取ることができるばあの器を持っちゅう人っちゅうんは、何かを成そうとする時にゃあ、その行為に集中し没頭し、自分が一個体やっちゅうことらあ忘れ、その「行為そのもの」になっちゅうがやき。
それが「己を忘れる者」ながよ。
そんな「己を忘れる者」こそが、世の中に対して自分はこれで貢献しょうっちゅうミッション(使命)みたいなもんを発見することができる、つまり「自分自身を見つけることができる」っちゅうことながぜよ。