2015年08月08日

幸せの言の葉〈919〉

「希望にゃあ2人の愛息がおる。彼らの名前は『怒り』と『勇気』ながやき。物事の在りようを見たときの怒りと、その在りようを変えていくための勇気ながぜよ。」(アウレリウス・アウグスティヌス)


古代キリスト教世界のラテン語圏で、最大の影響力を持つ理論家と言われちゅう神学者、アウレリウス・アウグスティヌスさんの言の葉ながよ。


アウグスティヌスさんのこの言の葉は、未来に希望を持つっちゅうこたぁどういうことかを、ワシらあに伝えてくれゆうがやないろうか。


まず、現実世界の物事の在りようを見たとき、未来への希望・・・つまり自分の理想とする世界とのギャップを感じるはずながやき。


そのギャップを感じたとき、静かに怒りが込み上げてくるがよ。


そりゃあ、感情的で私的な怒り、私憤じゃあのうて、義のある冷静で公的な怒り、公憤やないとイカンがやき。


その公憤が、理想とのギャップを埋める、未来への理想を実現させるための、大切な燃料になるっちゅうことながよ。


けんど、燃料だけじゃあ、まだ足りんがやき。


その在りようを実際に変えていこう、理想とのギャップを本気で埋めろう、未来への理想を現実に実現させろう、と真に考えるやったら、勇気が必要やっちゅうことながよ。


その勇気も、独り善がりで無謀な蛮勇やのうて、大義があり沈着な大勇やないとイカンがやき。


そんな大勇が、理想とのギャップを埋める、未来への理想を実現させるための、大切なエンジンになるがよ。


公憤っちゅう燃料と、大勇っちゅうエンジンが揃うて初めて、未来への希望が、実現に向けて進みはじめるっちゅうことながぜよ。


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