「おまさん自身が、おまさんの為すほぼすべてのことの動機ぜよ。」(エピクテトス)
古代ギリシャの哲学者、エピクテトスさんの言の葉ながやき。
時間を忘れ我を忘れて没入し、自分自身が肉体を持った生物体やっちゅう意識がのうなって、「その行為そのもの」や「その仕事そのもの」になったかのように感じたこたぁないかよ?
そりゃあきっと、おまさんの天職か、もしくは天職に近いところの行為やっちゅう証拠ながよ。
ワシの場合やったら、司牡丹を楽しむ会らあを開催した際に参加者の皆さんの悦びとシンクロした瞬間、あるいは何らかの伝えたいことを原稿にしゆう瞬間や、講演をしゆう瞬間らあに、自分自身が「行為そのもの」や「仕事そのもの」になったかのように感じることがあるがやき。
それがつまり天職であり、自分自身が動機やっちゅうことながよ。
ほいたら、そんな感覚を抱かんような行為や仕事は、天職たぁ何ちゃあ関係ないがやろうか?
実は、一見つまらんように見えるどんな行為や仕事やったち、全ては天職とつながっちゅうがやき。
そりゃあいつか必ず、天職に幅や厚みや深みや広がりを与えたり、何らかのヒントを与えたりしてくれるもんながよ。
おまさんが為すすべての行為に、長い目で見りゃあ無駄なことらあひとっつもないがやき。
ほいたら、おまさんが為すすべての行為や仕事は、天職につながっちゅう、つまり自分自身が動機やっちゅうことながぜよ。