「人生たぁ、恐れたりせにゃあこぢゃんと素晴らしいもんながぜよ。」(チャールズ・チャップリン)
英国の俳優・映画監督・コメディアンで「喜劇王」と言われた、チャールズ・チャップリンさんの言の葉ながやき。
「恐れ」っちゅうんは、原始時代にゃあ様々な危険から身を守るために、人間にとって必要不可欠なもんやったがよ。
現代やち、様々な危険から身を守るためにゃあ、そりゃあもちろん必要不可欠ながやき。
道路を渡るときらあに車の流れにまったく「恐れ」を感じざったら、そりゃあ危険きわまりないがよ。
けんど、何か新しいことを行動に移すときらあに、「恐れ」を感じて躊躇したり、行動に移すがをやめたりするっちゅう、そういう「恐れ」はどうやろうか?
赤ん坊のときにゃあみんなあ、車の流れにも新しい行動にも、「恐れ」らあ感じんがやき。
もっとも赤ん坊が新しい行動に「恐れ」らあ感じよったら、ハイハイもつかまり立ちも恐がってしもうて、歩くことすらできんまんま大人になってしまうことになるかもしれんがよ。
「恐れ」を感じざった赤ん坊も、成長するにつれ、車は危険やとか、新しい行動に失敗すりゃあ笑われるとか、いろいろ学んで、「恐れ」を覚えていくがやき。
大人になったち身の危険に対する「恐れ」は必要やけんど、新しい行動らあに対する「恐れ」は、自分でコントロールして、あんまり感じんようにした方がえいがよ。
「恐れ」は、結局後天的に身につけたもんながやき、自分でコントロールすることが可能ながやき。
赤ん坊が成長していくがに「恐れ」が邪魔やったように、大人がさらに人間的に成長していくためにゃあ、「恐れ」をコントロールできにゃあイカンがよ。
ほんで、それができりゃあ、人生は素晴らしいもんになるっちゅうことながぜよ。