「勇気たぁ、自分が負けると分かっちゅうときやち、ある理由のために戦う準備ができちゅうことながよ。敗北より悲惨な勝利は足るばああるがやき。」(ジョージ・エリオット)
英国ヴィクトリア時代を代表する女流作家の1人、ジョージ・エリオットさんの言の葉ながよ。
ちなみに「ジョージ」っちゅう男性のペンネームは、「女性作家は陽気なロマンスしか書かん」っちゅうステレオタイプから逃れるためやったといわれちゅうがやき。
さて、人生における勝負っちゅうんは、1回の勝負に勝つか負けるかは、実はあんまり重要やないがよ。
その1回の勝負に負けたところで、また次の勝負で勝ちゃあえいだけやし、ある部分で負けたち別の方向性で勝ちゃあえいだけのことながやき。
けんど人間はどういたち、1回の勝負の勝ち負けにこだわってしまいがちながよ。
特に、最初から自分が負けると分かっちゅう勝負に挑まにゃあイカン場合が人生にゃああって、そん時ゃあツラいがやき。
けんど、人生にゃあ負けると分かっちょったち、ある理由のために戦う準備をせにゃあイカン時があるもんながよ。
その「ある理由」たぁ、変な個人的なプライドのためらあやあのうて、自分が何をもって世の中に貢献するかっちゅう、ミッション(使命)に関わる場合ながやき。
そんな場合は、たとえ自分が負けると分かっちょったち、戦う準備をせにゃあイカンがよ。
それが真の勇気っちゅうもんながやき。
そんな真の勇気さえ持っちょりゃあ、たとえその1回の勝負に負けたとしたち、自分のミッションは曲げんかったっちゅう想いが、ミッションに筋金を入れてくれ、より強いもんにしてくれるがよ。
もし逆に、ミッションを曲げて1回の勝負に勝ったとしたら、そりゃあ結局、敗北よりか悲惨な勝利やっちゅうことながぜよ。