「人生の致命的な失敗たぁ、人間が分別を失うきに起こるもんやないがよ。分別を失う瞬間っちゅうんは、恐らく人間のもっとも素晴らしい瞬間ながやき。失敗は、人間が合理的になるきにこそ起こるもんながよ。そこにゃあ大きな違いがあるがぜよ。」(オスカー・ワイルド)
「19世紀最大の芸術家」とも言われた、アイルランド出身の劇作家、オスカー・ワイルドさんの言の葉ながやき。
確かにオスカーさんのおっしゃる通り、日常生活において人間が分別を失う瞬間っちゅうんは、難しい目標らあを成し遂げた歓喜の瞬間らあであり、そりゃあ人間のもっとも素晴らしい瞬間ながよ。
ほいたら逆に人生の致命的な失敗たぁ、どういう時に起こるがか?
オスカーさんはそれを、人間が合理的になるから起こるもんやと喝破するがやき。
ちなみに「合理的」たぁどういう意味かっちゅうたら、道理や論理にかなっているさま、あるいは無駄のう能率的であるさまっちゅう意味ながよ。
人間が学校らあで長年学び続けゆうこたぁ、まさにこれながやき。
この合理的に考えるっちゅう思考により、世界が発展してきたことは、一面じゃあ真実ながよ。
ところが現実の世の中は、こういう合理的なことだっけじゃあまったく動いてないし、実は成り立たんがやき。
「合理」を超えた、いわば「非合理の合理」っちゅうもんが、間違いのう存在しちゅうんが、現実世界の真実の姿ながよ。
そこがまったく理解できてない、合理的な思考で凝り固まっちゅう人間が、「非合理の合理」をまったく無視して行動した時に、致命的な失敗が起こるっちゅうことながぜよ。