2016年03月12日

幸せの言の葉〈983〉

「人間は、自分をその実際の姿と違うもんに見せかけろうとするときばあ、滑稽に見えるこたぁないがぜよ。」(ジャコモ・レオパルディ)


19世紀初頭の、イタリア近代最大の抒情詩人、ジャコモ・レオパルディさんの言の葉ながやき。


人間、まだ自分が未熟でありゃあ未熟であるばあ、自分を大きゅう見せたいと思うてしまうもんながよ。


その頃は、自分の得意とする分野やろうが、不得意とする分野やろうが、どんな分野やち知ったかぶりをしてしまいがちながやき。


けんど、ある程度年齢を重ねてくりゃあ、ある日ふと気づくがよ。


人間誰やち、得意とする分野もありゃあ、不得意とする分野もあるっちゅうことに気づくがやき。


そりゃあつまり、どんな天才やち、不得意とする分野はあるっちゅうことながよ。


ほいたら、もはや自分を必要以上に大きゅう見せる必要らあて、何ちゃあないがやき。


自分は自分であり、それ以上でもそれ以下でもないがよ。


等身大の自分を、他人じゃ替えれん、かけがえのない1人の人間として、そのまんま受け入れることができたとき、初めて人間は一皮むけて、お子様から大人になるっちゅうことながやき。


そこに気づいてない大人は、気づいちゅう人から見りゃあ、滑稽でしかないっちゅうことながぜよ。


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