2016年04月02日

幸せの言の葉〈990〉

「心たぁ、満たされるべき『器』やのうて、燃やされるべき『炎』ながぜよ。」(プルタルコス)


ローマ帝国のギリシァ人著述家で哲学者の、プルタルコスさんの言の葉ながやき。


自分の人生は、何とのう満たされちゃあせんと感じちゅう人が、少のうないがやないろうか。


いつか、外部的な何かがあって、自分の人生が満たされるがやないかと思うて待ちうがやとしたら、そりゃあ違うがよ。


そうやって、外部的な何かを待ちゆうからこそ満たされんがやっちゅうことに、気づかにゃあイカンがやき。


だいたい、自分の心を、満たされるべき「器」やと思うちゅうこと自体が、勘違いながよ。


プルタルコスさんの言の葉の通り、心たぁ満たされるべき「器」らあやのうて、燃やされるべき「炎」ながやき。


もし、外から何か、自分を満たしてくれるようなもんがやって来ると信じて待ちゆうがやったとしたら、おまさんの心は、いつまで経ったち満たされることらあないがよ。


けんどもしそれに、自分の内部からフツフツとあふれ出すような情熱の火をつけて、「炎」を燃え上がらせることができりゃあ、そん時おまさんの心は、既に満たされちゅうはずながぜよ。


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