「何かを究めたいやったら、外にゃあ愚かになることぜよ。」(エピクテトス)
古代ギリシァのストア派の哲学者、エピクテトスさんの言の葉ながやき。
この「言の葉」の最大のキーワードは、「外」ながよ。
つまり、「外」にゃあ愚かになれえっちゅうがやき、逆に「内」についちゃあ愚かじゃイカンっちゅうことながやき。
要するに、何かを究めたいやったら、その道の答えは「外」にゃあのうて、自分の「内」にしかないっちゅうことながよ。
さらに、その道にたどり着きたいやったら、自分も知らんような自分の「内」の深い深い部分と、何度も何度も対話をせにゃあイカンっちゅうことやき、「外」からの刺激や雑音らあに惑わされよっちゃあイカンがやき。
ほんじゃき、かのエピクテトスさんは、「外にゃあ愚かになれ」っちゅうがよ。
特に現代は、自分の「外」からの刺激や雑音らあを完全にシャットアウトすることらあ不可能やき、そっちの方に対しちゃあ愚かに見えるばあ鈍感になったほうがえいっちゅうことながやき。
そうなってこそ、自分の「内」に対する感覚が研ぎ澄まされ、鋭敏になり、心の奥底に潜んじゅう真の自分自身との対話が可能になり、それでこそ何かの道を究めることが可能になるっちゅうことながぜよ。