「人間の真価は分数のようなもんながよ。分母は自己の評価、分子は他人による評価ながやき。分母が大きゅうなるばあ、結局真価は小そうなるがぜよ。」(トルストイ)
ロシアを代表する19世紀の文豪、トルストイさんの言の葉ながよ。
人間の真価を分数にたとえるらあて、こりゃあまさに目からウロコの卓見ながやき。
しかも、それだけやったら、たとえ自己の評価(分母)が過大に大きかったち、他人による評価(分子)がもしそれ以上に大きけりゃあ、真価は大きゅうなるっちゅうことになるがやけんど、トルストイさんはそうは言うてないがよ。
「分母(自己の評価)が大きゅうなるばあ、結局真価は小そうなる」っちゅうて断言しちゅうがやき。
つまり、自己の評価(分母)より、他人による評価(分子)の方が大きい人間らあて、まずこの世の中にゃあおらんっちゅうことを、トルストイさんは喝破しちゅうがよ。
ならばこそワシらあは、あんまり自分自身を過大に自己評価し過ぎちゃあイカンっちゅうことながやき。
それを他人による評価が上回ることらあないがが人間ながやったら、トルストイさんの言う通り、分母(自己の評価)が大きゅうなりゃあ大きゅうなるばあ、結局真価は小そうなるしかないっちゅうことながぜよ。