2016年05月10日

「土佐学協会」主催「第10回・土佐学大会」(前編)ぜよ!

5月8日(日)は、ワシが理事長を務めさいてもらいゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)主催の「第10回・土佐学大会」やったがぜよ。


 ちなみに昨年の「第9回・土佐学大会」についちゃあ、「2015年5月28日」と「2015年5月29日」のブログをご参照くださいや。


 ほんで、「第10回・土佐学大会」は、高知県立大学・高知工科大学の永国寺キャンパス地域連携棟2階のB207教室にて13時半から開会やき、12時過ぎばあにワシらあ理事メンバーは会場に集まったがやき。


 ほいたら、高知県立大学の熱血「清原ゼミ」の生徒さんらあが、受付や会場の準備らあを、バッチリやってくださりゆうところやったがよ。
(1)会場準備10(2)受付




















 毎年のことながら、感謝感謝ながやき。


 また、ワシらあのこの1年間の集大成、「土佐学年報・第10号」(〜たまるか!土佐がはみかえる〜)が、遂に完成しちょったがよ。
(3)土佐学年報


 ご担当いただきました清原先生、まっことありがとうございますぜよ!


















 ほんで、いろいろバタバタと準備をしもって、平成28年度第2回理事会を、パパッと開催したがやき。
(4)チャチャッと理事会


















 13時ばあからは、ボチボチご参加者の皆さんも集まられ、結局最終的にゃあ40名ばあの皆さんにご参加いただけたようながよ。
(5)ご来場者

 さて、今回の大会は、「昭和南海大地震後70年 地域文化の継承を考える」がテーマながやき。


 阪神淡路大震災や東日本大震災、さらにこの度の熊本・大分の震災らあの災禍を目の当たりにして、防災・減災の観点から南海トラフ地震に備える活動は、かなり活性化してきちゅうようなけんど、果たしてそれだっけで十分ながやろか?


 東日本大震災から5年。防災や減災の手立てだっけやのうて、災害から復興に向けての備えも、おんなじように大切であることが分かってきたがよ。


 未曾有の災禍から立ち直るとき、地域の歴史や伝統っちゅうような地域文化が、実は人々の大きな支えとなるがやき。


 第10回の記念となる平成28年度の「土佐学大会」では、「昭和南海大地震後70年 地域文化の継承を考える」をテーマに、少子高齢化や過疎化らあが全国に先行して進みゆう高知県にあって、震災からの復興を視野に入れてワシらあが今何をしちょくべきかについて、考えるっちゅうことながよ。


 さて13時半にゃあ、高知県立大学文化学部2年の学生さんで、RKCラジオ「セキララジオ」のパーソナリティも務められゆう島野真帆さんの司会にて、開会ながやき。
10(6)開会(7)司会


















 まずは理事長のワシから、開会のご挨拶ながよ。


 続いては基調講演で、高知大学名誉教授の鈴木堯士先生の「寺田寅彦の知見に学ぶ」ながやき。
(8)鈴木先生基調講演
















 まず鈴木先生は、高知県出身の偉大な物理学者・地球科学者の寺田寅彦(1878〜1935年)さんの略歴についてご紹介されたがよ。
(9)寺田寅彦略歴


 寅彦さんは、本来は物理学者ながやけんど、大正12年に上野の喫茶店におる時に関東大震災に遭遇し、その時から地球科学者の方向に大転換することになったっちゅうがやき。


 東京中が火の海かもしれんと直感したっちゅうて、日記にも記録されちゅうらしいがよ。










 ちなみに寅彦さんの論文は、全部で224編あるらしいがやけんど、広義の地球科学の論文は145編もあるき、本来は物理学者っちゅうよりか地球科学者と言うたほうがえいろうっちゅうがやき。
(10)寺田寅彦の論文

 しかも、昭和に入ってから58歳で亡くなるまでの10年間の論文数は膨大で、もしもうちくと長生きされちょったら、ノーベル賞やち獲っちょったがやないろうかっちゅうがよ。


 1913年1月にブラッグ父子が「X線結晶」についての論文を「ネイチャー」っちゅう科学雑誌に発表しちゅうけんど、寅彦さんも同年5月に「X線結晶」の論文を「ネイチャー」に発表しちゅうっちゅうがやき。


 この論文は船便で送ったらしいきに、ブラッグ父子よりか先に書いちょった可能性もあるっちゅうがよ。


 ちなみにこの論文で、ブラッグ父子はノーベル物理学賞を受賞しちゅうらしいがやき。


 まっこと、惜しいことぜよ!


 さて寅彦さんは、関東大震災以降、地震に関する様々な研究もされちゅうがよ。



 地震の発生回数と椿の花の落下数は似いちゅうとか、伊豆地震の発生回数とアジの漁獲高は似いちゅう(メジは1ヶ月遅れで獲れる)とか、ユニークな研究があるらしいがやき。


 また、ユニークっちゅうたら、金平糖の角についての研究もしちゅうらしゅうて、金平糖の角の数は一定しちょって、正多面体になり、そりゃあ「ゆらぎ」の研究になるっちゅうがよ。


 ちなみに鈴木先生が金平糖の角を数えたら、ほとんどが20やったき、こりゃあ正12面体(5つある正多面体の1つ)やっちゅうがやき。


 また、今は当たり前となっちゅう大陸移動説やけんど、これを最初に言いだしたがが寅彦さんやっちゅうがよ。
(11)大陸移動説


 寅彦さんは、日本海側にゃあ島がいっぱいあるに、太平洋側にゃああんまりないことから、日本は大陸から分かれて南に移動し、その際に引きちぎられたがが日本海側の島ながやないかっちゅうがやき。


 震災に関する随筆も多数あり、80年以上前にこぢゃんと先見的な見解を多数残しちゅうっちゅうがよ。


 寅彦さんは、「日本の国土は1つの吊り橋の上に架かっちゅうようなもんで、その吊り橋の鉄柵が明日にも断たれるかもしれん」っちゅうて警告しちゅうっちゅうがやき。


 さらに、昭和8年の「津浪と人間」らあに、大津波への警告も残しちゅうっちゅうがよ。


 室戸岬の地盤は、毎年7ミリずつ沈降し続け、南海大地震の度に隆起するっちゅうんを繰り返しゆうっちゅうこたぁ、現在じゃあ周知の事実やけんど、寅彦さんは昭和8年に既に、珊瑚の成長速度から、室戸岬が年に7ミリ沈みゆうことを指摘しちょったっちゅうがやき。


 また、現在じゃあ当たり前の「プレート」っちゅう言葉も既に昭和9年に使うちょって、まさに「プレート理論」の先取りをしちょったっちゅうがよ。
(12)プレート理論の先取り














 また、高知市の孕(はらみ)地区にゃあ、「孕のジャン」っちゅう怪現象があるがやけんど、これについても「怪異考」の中で触れちゅうがやき。
(13)孕のジャン



 南海大地震の前後あたりに、孕地区じゃあ海の方から「ジャン!」っちゅう音が聞こえるっちゅうんが「孕のジャン」ながやけんど、寅彦さんの解釈は、「小規模な地震=地鳴り現象」やっちゅうがよ。


 次に「地域文化発展と災害進化」についてやけんど、寅彦さんは「天災と国防」の中で次のようなこぢゃんと示唆に富んだ言葉を残されちゅうっちゅうがやき。


 「いつも忘れられがちな重大な要項は、文明が進みゃあ進むばあ、天然の暴威による災害が、その激烈の度を増すっちゅう事実ながよ。」



 「いやが上にも災害を大きゅうするように努力しゆうもんは、誰あろう文明人そのものながぜよ。」


 さらに鈴木先生は、寅彦さんの考えと地域文化と私見を組み合わせ、「震災パターンの進化」にゃあ次の4つが影響しちゅうっちゅうがやき。


●エネルギーの進化・多様化(福島原発事故)

●人口の都市集中

●建築様式の進化

●交通の過密化・高度化・多数同乗化


 続いて鈴木先生は、寅彦さんも把握しちょくべきやと指摘しちゅう、津波の記念碑らあの所在地も紹介されたがよ。
(14)津波記念碑所在地


 ほんで、寅彦さんの言葉、「正当に怖がる」を挙げられたがやき。
(15)正当に怖がる


 「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするがはやさしいけんど、正当に怖がるこたぁなかなか難しいことやと思われる。」


 ほんで結びに、寅彦さんの名言を紹介されたがよ。


 「天災は忘れられたる頃来る。」



 こりゃあ実は寅彦さんが書き残した言葉やないけんど、中谷宇吉郎さんっちゅう方が、「先生がペンを使わんと書かれた文字である」と語っちゅうっちゅうがやき。


 こうして予定時間をちくとオーバーの、70分の基調講演が、拍手喝采の中で終了したがよ。


 続いての講演は、高知県立高知城歴史博物館学芸員の田井東浩平さんによる、「災害から地域資料を守る〜事前の備えと被災時の対応」ながやき。
(16)田井東さん講演
(17)田井東さん講演2




















 まず田井東さんは、災害時に一番最優先されるべきながは人命やインフラらあやっちゅうんは間違いないことやけんど、文化財や歴史資料らあは地域の記憶でもあり、復興の際に大きな支えや拠り所になるっちゅうことが、東日本大震災の時に認識されたっちゅうがよ。


 こりゃあそれ以前にゃあなかった動きであり、大きな意識の変化やっちゅうがやき。


 最近の熊本地震でも、既に4月の段階で、新聞が「国の文化財45件被害」「熊本城 元の姿に〜熊本市が支援口座」とか、「被災文化財保全 目配りと連携を」「個人蔵、未指定も基調な資料」「平時からの博物館ネットワークが重要」とかっちゅう記事を掲載しちゅうっちゅうがよ。


 ほんで本題に入り、まずは「東日本大震災による文化財被害とその保存」についてながやき。
(18)東日本大震災による文化財被害とその保存


 「被害概要と文化財レスキュー活動」について、「地域や家に残る『歴史資料』」について、「災害時における文化財の危険」について、「NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークの活動事例」について、お話いただいたがよ。


 特に、石巻市・門脇地区での資料レスキューについて、詳しゅうお話いただいたがやき。


 この地区の旧家である本間家は、大邸宅のほとんどが津波で流されたがやけんど、古文書らあが収蔵されちょった3つの土蔵のうち、1つだっけが奇跡的に流されんと残ったっちゅうがよ。


 そのレスキュー作業らあについて、詳しゅうお話いただいたがやき。


 ちなみに襖の下張りにゃあ古文書が使われちゅう場合があるき、襖の救出作業らあも必要やっちゅうがよ。


 被災資料の保存処置としちゃあ、まずは「泥落とし・洗浄」、次に「エタノール消毒」、続いては「扇風機による乾燥」、最後に「リスト・目録の作成」やっちゅうがやき。


 お次は、「災害から高知県の地域資料を守るために」ながよ。
(19)災害から高知県の地域資料を守るために


 まずは「資料の所在把握の重要性」について語られ、次に「資料の目録作成、写真撮影を進めておく」こと、続いては「資料の防災・減災対策を講じておく」(段ボール箱に入れちゅうだけでも救いやすい)こと、続いて「被災した地域資料の救援・保存活動について知っちょく」ことらあについて、お話いただいたがやき。


 ほんで、そのためにゃあ、資料の所蔵者・地域住民の方々の理解・協力が何より不可欠やっちゅうがよ。


 最後に、災害に備えた高知県内の動きとして、「こうちミュージアムネットワーク」の活動について、お話いただいたがやき。
(20)「こうちミュージアムネットワーク」の活動


 このネットワークじゃあ、県内に点在する地域資料の所在情報の収集に加え、災害時における被災資料の保全、県内文化施設における被災状況の把握、被災した民間所在資料の保全の呼びかけと窓口の開設らあの活動を行うっちゅうがよ。


 ちなみに連絡先は、以下の通りながやき。


こうちミュージアムネットワーク事務局
「高知県立高知城歴史博物館」
TEL:088-873-0406
(8月1日より住所・電話番号が変更になります。詳しくは「城博プレサイト」HPをご覧ください。)



 こうして約30分の、田井東さんの講演も、拍手喝采の中で終了したがよ。


 さて、ちくと長うなってしもうたき、この続きは、明日のブログの「後編」に譲らいていただきますぜよ。














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