「正論は正しい。けんど正論を武器にする奴は正しゅうない。」(有川浩「図書館戦争」より)
高知県出身で、数々のベストセラー小説を誕生さいちゅう大人気の女流作家、有川浩さんの「図書館戦争」からの言の葉ながやき。
正論は、そりゃあ「正論」っちゅうばあのもんやき、誰が聞いたち非の打ち所がないばあ正しいことながよ。
ほんじゃきこそ、正論を語るもんは、その語り方にこぢゃんと気をつけにゃあイカンがやき。
正論は、誰っちゃあ反論の余地がないきにこそ、知らん間に相手をこぢゃんと傷つけてしまう刃にもなるっちゅうことながよ。
たとえば、何か新しいことにチャレンジしゆう人に対して、それが新しけりゃあ新しいばあ、ちんまい間違いや見落としらあを探しゃあスッと見つかるき、それらあを取り上げ正論をぶつけて反証することらあて、チョビッと頭のえい人やったら実に簡単なことながやき。
けんど、ナンボその正論が正しかったとしたち、それによってせっかく新しいことにチャレンジしゆう人を傷つけてしもうて、そのチャレンジしょうっちゅう気持ち自体を萎えさせてしもうたとしたら、そりゃあ世の中にとっちゃあ大きな損失になるっちゅうことながよ。
正論を貫くことで、新たな挑戦を潰してしまうとしたら、そりゃあ意味がないっちゅうことながやき。
さらに正論の恐ろしさは、その刃が自分にも向かう諸刃の刃やっちゅう点ながよ。
何ちゃあせん人だっけが正しいことを言い続けられる、正しいことだっけを言い続けようとすりゃあ人は何ちゃあせんなるっちゅう傾向があり、そこに陥ってしまう恐ろしさもあるっちゅうことながやき。
ほいたら、実際に正論を語る時にゃあどうすりゃあえいがか?
その最大のポイントはおそらく、他人事のように語っちゃあイカン、自分事として語れっちゅうことながよ。
そりゃあ、刃物を誰かに手渡す時、その刃先を自分の方に向けて、刃先を持って手渡すっちゅうんとおんなじことやっちゅうことながぜよ。