2016年05月29日

幸せの言の葉〈1011〉

「一流を目指すもんは、自分自身や自分に関する事にゃあ囚われんと、自分で成そうと、他人によって成されようと、その事だっけに愛着せんとイカンがぜよ。」(プラトン)


その思想は西洋哲学の源流やと言われる、古代ギリシァの哲学者、プラトン(紀元前427〜紀元前347)さんの言の葉ながやき。


プラトンさんの言う「その事」たぁ、つまり自分がこの世で成し遂げたい夢や理想の事ながよ。


ほんでプラトンさんは、その夢や理想を何としたちこの世に実現させたいっちゅう念いに、それを成すがは自分やっちゅう条件が加わるがやったら、その人は二流か三流やっちゅうがやき。


一流っちゅうんは、夢や理想を何としたちこの世に実現させたいっちゅう純粋な念いそのものになれる人であり、それを成し遂げるがが自分であろうと他人であろうと、そんなこたぁ関係ないと本気で思える人やっちゅうがよ。


自分の想い描く夢や理想を、もし自分よりか早うに、自分よりか上手に成し遂げることができる人がおったとしたら、悦んでその人のアシストに回り、その実現を手助けするっちゅうばあの人こそが、ホンマモンの一流やっちゅう意味ながやき。


その夢や理想を実現するがに、「自分が」っちゅう条件をつけることにより、その実現が遅れる、もしくはレベルが下がるがやったら、そん時は悦んで「自分が」っちゅう条件をはずすばあ、本気でその実現を心から望んじゅうような人やなけりゃあ一流たぁ言えんと、プラトンさんは言いゆうがぜよ。


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