「考える術を教えるべきで、考えたことを教えるべきやないがぜよ。」(コルネリウス・グルリット)
ドイツの作曲家、コルネリウス・グルリット(1820〜1901年)さんの言の葉ながやき。
考えた結果の答えだっけを教えて、それをやらせるだっけやったら、その人は自分の頭で考えることをせんなってしもうて、「指示待ち人間」になってしまうがよ。
ほんじゃき、考える術(すべ)、考え方のプロセスをこそ、教えにゃあイカンっちゅうことながやき。
水を与えるがじゃのうて、井戸の掘り方を教えにゃあイカン、魚を与えるがじゃのうて、魚の釣り方を教えにゃあイカンっちゅうことながよ。
考えた結果の答えだっけを教えられ、それをやるだっけに慣れてしもうたら、その方が楽なもんやき、自分の頭で考えることが面倒になって、考えんことが当たり前になってしまうがやけんど、そりゃあ実は自分自身の「自由」を放棄することやと、気づかにゃあイカンがやき。
与えられるだっけの魚に対して、「ワシゃあ鮎が欲しい」じゃ「今度は鰹が欲しい」じゃっちゅうて、文句を言うがが自由の獲得やと勘違いしちゃあイカンがよ。
自ら魚の釣り方を学び、自立できた時に初めて、「今日は鮎を釣りに行こう」とか、「明日は鰹を釣りに行こう」とかっちゅう、どんな魚を釣りに行くかっちゅう自由を獲得できるっちゅうことながやき。
自らの頭で考える術を身に付けにゃあ、本当の自由は手に入らんっちゅうことながぜよ。