2016年08月07日

幸せの言の葉<1029>

「本物は続く。続きゃあ本物になるぜよ。」(東井義雄)


兵庫県出身の教育者・浄土真宗僧侶で、多くの著作も著された、東井義雄(1912〜1991)さんの言の葉ながやき。


「本物」たぁ、何やろか?


仮にここに1つの素晴らしい「本物」があったとして、もしそれが長う続かんと短期間で消え去ってしもうたとしたら、一体誰がそれを「本物」やったと認知できるろうか?


ナンボ実際に「本物」やったとしても、「ウチは本物です!」っちゅうて自らが喧伝したち、そりゃあ周りからすりゃあ胡散臭いだけながよ。


自らは何も言わんち、周りから自然と「あそこは本物や!」っちゅうて言われるようにならにゃあ、誰も「本物」たぁ認めてくれんっちゅうことながやき。


つまり、本物の「本物」になるにゃあ、周りの人らあが「本物」やと認めてくれるようになるまで、長う続かにゃあイカンっちゅうことながよ。


また、もし仮に物真似からのスタートやったとしたち、それがいつの間にか周りに認められ、何年も何十年もの長きに渡り続いていくことができたとしたら、そりゃあもはや「物真似」やのうて、「本物」やっちゅうことながやき。


時や人や環境の荒波に、もまれにもまれる中で続くことができりゃあ、最初は「物真似」やったとしたち、「本物」に生まれ変わることができるっちゅうことながぜよ。


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