「若い人らあはよう、『生き甲斐がない』っちゅうがよ。けんどそりゃあ当たり前ながやき。孤立した人にゃあ生き甲斐はない。生き甲斐たぁ人間関係ぜよ。」(石川達三)
「蒼氓」により芥川賞受賞者第一号となった、秋田県生まれの小説家、石川達三(1905〜1985)さんの言の葉ながよ。
確かに石川さんのおっしゃる通り、孤立した人間にゃあ生き甲斐らあて、あるわけないがやき。
生き甲斐っちゅうもんをトコトン考えてみりゃあ、何が生き甲斐ゆうたち、自分の仕事や得意とすることで、誰かを幸せにしたり、周りをチョビッとやち良うすることばあの生き甲斐は、他にゃあないがやないろうか?
誰の生き甲斐やち、突き詰めりゃあこういうことになるはずで、生き甲斐っちゅうたらコレに尽きると、ワシゃあ思うがよ。
ほいたら、人間関係のないところでの生き甲斐らあてないっちゅうことになり、つまるところ「生き甲斐たぁ人間関係ぜよ」っちゅうことになるがやき。
周りに「生き甲斐がない」っちゅうて嘆きゆう若い人がおったら、是非このことを伝えちゃってくださいや。
確かに人間関係は、面倒くさいことも多いし、ややこしいことも少のうないし、それが悩みのタネやったり不幸の元凶やったりもするろうけんど、それこそが生きちゅうっちゅう証しであり、そこにこそ生き甲斐が存在しちゅうっちゅうことながぜよ。