2017年05月20日

幸せの言の葉<1116>

「いかに死ぬか、いつ死ぬかを選ぶこたぁできん。選べるがは、いかに生きるか、それだけぜよ。」(ジョーン・バエズ)


アメリカのミュージシャン、ジョーン・バエズ(1941〜)さんの言の葉ながやき。


考えてみりゃあ、人生は選択の連続ながよ。


朝何時に起きるか、朝食に何を食べるか、何時に出発するか、どの道を使うて目的地に向かうか・・・等々、とにかく生きるっちゅうこたぁ、ちんまい選択の積み重ねながやき。


歴史に名を刻むような偉人やち、何の取り柄もない小悪人やち、人間誰やちその瞬間瞬間のちんまい選択を積み重ねて人生を歩んでいくっちゅう点じゃあ、みんなあおんなじながよ。


けんど、そのちんまい選択の積み重ねの違いにより、ある人は歴史に名を刻むような偉人になり、またある人は何の取り柄もない小悪人になるがやき。


この差は、いったい何によって生じるがじゃろうか?


そりゃあおそらく、日々のちんまい選択の前の大前提として、「いかに生きるか」を選択しちゅうかどうかながやないろうか。


この大前提の「いかに生きるか」の選択をしちゃあせん人間は、一瞬一瞬のちんまい選択が、そん時の気分次第の行き当たりばったりになり、何の積み重ねもない人生を送ることになるがよ。


何の取り柄もない小悪人は、たいていはこんな人生の中で誕生するがやき。


一方、自分の一生を「いかに生きるか」を、まず選択し、それを決断した人はどうじゃろか。


ほいたら、日々の一瞬一瞬のちんまい選択が、その生き方に則った方向に向かうような選択を、無意識にできるようになるがよ。


つまり、日々の一瞬一瞬の選択により、一歩ずつ一歩ずつ、目標とするところに近づいていくっちゅうことながやき。


歴史に名を刻むような偉人は、こうして誕生するっちゅうことながぜよ。



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