「どんな人間も誰かの人生の背景として存在しちゅうがやのうて、それぞれ自分が主役である人生を生きちゅうがぜよ。」(清水義範)
愛知県出身の作家、清水義範(1947〜)さんの言の葉ながやき。
おまさんの周りにも、どんなときにやちほとんど発言したり意見を言うたりせん、まったく目立たん背景みたいな人が、1人ばあはおりゃあせんかよ?
そういう人は、自分が属しちゅうあらゆる集団においても、常に目立たん背景みたいな、人生におけるエキストラ役しか担当しちゃあせんかっちゅうたら、そんなこたぁないがやき。
映画やったら、主役を張る人はどんな映画でも主役級で、エキストラの人はどんな映画やちエキストラしか演じることができんかもしれんけんど、人生は映画たぁ違うがよ。
ある集団じゃあエキストラの人が、別の集団じゃあ主役を担当しちゅうっちゅうことがあるもんながやき。
ほんじゃき、もし自分の周りにそういう人がおったとしたち、「別の集団じゃあ主役を張れる人や」っちゅうことを念頭に置いて、きちんと対応するべきやっちゅうことながよ。
もし仮に、どんな集団に行ったち常にエキストラやっちゅう人がおったとしたら、その人はまったく自分の人生を生きてないっちゅうことになるがやき。
そういう人は、どんなちんまい集団でも、どんなちんまい分野やちかまんき、まず自分が主役を張れるような居場所をつくらにゃあイカンがよ。
それをつくりさえすりゃあ、その人の人生は必ず光り輝くもんになるがぜよ。