「船は港に泊まっちょりゃあ安全ながやき。けんど、それじゃあ船の用をなさんがぜよ。」(ウィリアム・シェッド)
19世紀アメリカ合衆国の宗教学者、ウィリアム・シェッド(1820〜1894)さんの言の葉ながよ。
この言の葉は、船やち人間やちおんなじやっちゅうことながやき。
この言の葉の「船」の部分を、「部下」や「子供」に置き換えて読んでみたらえいがよ。
「部下は新しい仕事をさせにゃあ、失敗するこたぁないがやき。けんど、それじゃあ部下は育たんがぜよ。」
「子供に挑戦や旅をさせにゃあ、安全ながやき。けんど、それじゃあ子供は成長も進歩もないがぜよ。」
つまり、危険やったり、リスクがあったりするかもしれんけんど、船は停泊するために存在しちゅうわけやのうて、航海に出るために存在しちゅうっちゅうことながよ。
同様に、部下は新たな仕事にチャレンジするために存在しちゅうし、子供は挑戦や旅を繰り返して成長するために存在しちゅうっちゅうことながやき。
失敗や危険やリスクを恐れるあまり、停泊させちょくっちゅうんは、部下や子供らあの存在意義をないがしろにする行為やっちゅうことながぜよ。