「多忙たぁ怠け者の遁辞ながよ。今日なすべきことを今日せんかったら、明日は必ず多忙ぜよ。」(徳富蘇峰)
「國民新聞」を主宰し、大著「近世日本国民史」を著したことで知られちゅう、明治から昭和にかけてのジャーナリスト・思想家・歴史家・評論家、徳富蘇峰(1863〜1957)さんの言の葉ながやき。
ちなみに遁辞(とんじ)たぁ、言い逃れや逃げ口上の意味ながよ。
つまり、多忙たぁ怠け者の言い逃れやと、かの徳富蘇峰さんは一刀両断するがやき。
ワシらあもスッと「忙しい、忙しい」っちゅうて口にしてしまうけんど、そんなんは怠け者の逃げ口上やっちゅうがやき、グサッときてしまうがよ。
こりゃあ、現実にどれっぱあ忙しかったとしたち、「忙しい」らあて決して口に出したらイカンっちゅう戒めながやき。
なんぼ忙しかったち、その忙しい内容が全て「自分ごと」になっちょったら、「忙しい」らあて言葉は出てこんはずやっちゅうことながよ。
忙しい内容が「自分ごと」になってのうて、どっか「他人ごと」になっちょって、「この忙しさは自分のせいやない」っちゅう意識がどっかに潜んじゅうきに、「忙しい」っちゅう言葉が口をついて出てくるがやき。
どんな仕事やち、引き受けた以上全て「自分ごと」にせにゃあ、本気になってないっちゅうことながよ。
全てを本気になって、「自分ごと」にして事にあたりゃあ、「忙しい」らあて言葉は出てこんはずやっちゅうことながぜよ。