「荒地は荒地の力をもって開くがぜよ。」(二宮尊徳)
江戸時代後期の経世家・農政家・思想家で、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した、二宮尊徳(1787〜1856)さんの言の葉ながやき。
尊徳さんは二十歳のとき、嵐で田畑を流された生家の家計を立て直し、次に奉公先の小田原藩家老の家の財政も立て直し、続いて分家旗本の荒れた領地経営でも成果を上げ、さらに関東各地で財政再建を成功さいて、ついにゃあ幕臣に取り立てられ、天領やった日光の経営まで担うことになるがよ。
どこにおいてやち、やったことはごく当たり前のことで、倹約すべきを倹約し、利益の上がる事業を見定めて領民全員で取り組み、蓄えるべきを蓄えて、互いに助け合うっちゅう「報徳仕法」を実践さいただけながやき。
再建とか、立て直しっちゅうたら、どういたち外部から支援をしょうっちゅう話になりがちやけんど、そりゃあ必ずしも当人らあの自立にゃあつながらんがよ。
ちゅうこたぁ、持続可能かっちゅうたら、ハテナながやき。
要するに、再建や立て直しを成功させるにゃあ、外からやのうて内から、当人らあが自ら切り拓く力、自力を育てにゃあいかんっちゅうことながよ。
それが「荒地は荒地の力をもって開く」っちゅう言の葉の意味ながやき。
言葉で書いたらあまりに当たり前のことやけんど、実際に実践するがはそう簡単なことやないがよ。
その成功事例を現実に次々と示したくに、二宮尊徳さんの偉大さがあるがぜよ。