「ワシらあは無知によって道に迷うこたぁないがやき。自分が知っちゅうと信じることによって迷うがぜよ。」(ジャン・ジャック・ルソー)
フランス語圏ジュネーブ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した哲学者・啓蒙思想家・作家・作曲家、ジャン・ジャック・ルソー(1712〜1778)さんの言の葉ながよ。
ワシらあは、知らんきに道に迷うがやと思うてしまいがちやけんど、実はそうやないと、かの偉大な哲学者ルソーさんは語るがやき。
実は人が道に迷うがは、知らんきに迷うがやのうて、自分が知っちゅうと信じることによって迷うがやっちゅうがよ。
考えてみりゃあ確かに、自分が何ちゃあ知らんことが最初っから分かっちょったら、何じゃち迷うことらあないがやき。
道やったら地図を見りゃあえいし、仕事やったら詳しい人に素直にたずねりゃあえいがよ。
ほんじゃき、知らんことで迷うことらあて実は滅多にないがやき。
けんど、自分が知っちゅうと信じきっちゅうことは、ろくに調べもせんとスタートしたり、今さら他人にたずねるがも恥ずかしゅうてできんかったりして、結局迷路に迷い込んでしもうたりするもんながよ。
ほいたらどうすりゃあえいかっちゅうたら、かの哲人ソクラテスさんの「無知の知」を、肝に銘じちょかなイカンっちゅうことながやき。
つまり、自分は知識があると思い込んじゅう人よりか、自分はまだまだ無知やと自覚しちゅう人のほうが、その自覚しちゅう分ばあ知識があるっちゅう意味ながよ。
特に今の時代は、あらゆる分野で変化のスピードが速いき、自分が知り尽くしちゅうと思い込んじゅう分野やち、アッちゅう間に変わってしもうちょったりするがやき。
ほんじゃきますます、この「無知の知」っちゅう智恵が、重要になるっちゅうことながぜよ。