「自分が負けたと思わん限り負けるこたぁないがやき。その出来事に意味を決めるがは自分だけながぜよ。」(イアン・ソープ)
オーストリア人として最多の5つのオリンピック金メダルを獲得しちゅう男性競泳選手、イアン・ソープ(1982〜)さんの言の葉ながよ。
試合や競争らあじゃあ、その1つ1つで勝敗が決まるけんど、そこで負けたとしたち、それを糧やバネにして次に勝ったとしたら、その負けは「ただの負け」やないっちゅうことながやき。
自分が負けたと思うたら、そこで負けやけんど、負けたと思わんかったら、思うまでは負けやないっちゅうことながよ。
「勝ち組」「負け組」らぁていうけんど、人生にしたち、自分が勝っちゅうか負けちゅうからあて、何をもって決めるかでも変わってくるし、最後の最後まで分からんもんながやき。
おんなじ出来事を、ある人は失敗と捉え、ある人は成功と捉える・・・ある人は負けたと捉え、ある人は勝ったと捉える・・・結局言えるこたぁ、出来事に意味を決めるがは、自分だっけやっちゅうことながよ。
その意味の決め方によって、その後の人生が大きゅう左右されるとしたら、おまさんは今の自身の人生にどんな意味を決めたいぜよ?