「自己自身を修めるにゃああんまり効果を期待せんと、静々と人知れずやられりゃあえいがやき。それを三十年、四十年、五十年と続けていきゃあ、風格っちゅうもんができてくるがぜよ。」(伊與田覺)
碵学の陽明学者・安岡正篤さんに学生時代から師事し、古典を通じた人間教育に101年の生涯を捧げた、高知県出身の教育者・著述家・思想家で論語普及会学監、伊與田覺(いよたさとる 1916〜2016)さんの言の葉ながよ。
自己自身を修めるたぁ「修身」っちゅうことで、そりゃあ自分の行為を正しゅうして身を整えるっちゅうことながやき。
自分の行為を正しゅうして身を整えるっちゅうんは、何かをすりゃあこぢゃんと効果が上がるとか、何かを学びゃあ格段にレベルアップできるとか、そういう話にゃあならん問題ながよ。
スッと効果が上がるとか、スッと結果が出るっちゅうことらあてない世界やっちゅうことながやき。
もちろん、ただ年数を重ねりゃあえいっちゅうわけやないけんど、ある程度年数を重ねにゃあ本当の深い理解にゃあ到らんもんもあるっちゅうことながよ。
さらに、これで修身を究めたらあて思うたら、そこで進化が止まって退化がはじまるがやき。
つまり修身にゃあ、自分磨きにゃあ終わりはないっちゅうことながよ。
そんな終わりのない挑戦からの恩恵、それが「風格」やっちゅうことながぜよ。