「どんな人と一緒になったち、どんなことに出くわしたち、つぶされん人格をつくり、幸せに楽しゅうおれるような人になりたいぜよ。」(坂田道信)
哲学者・森信三師との出会いから「複写ハガキ」の実践を始め、現在は「ハガキ道伝道者」として、全国各地で精力的に講演活動らあに励まれゆう、坂田道信(1940〜)さんの言の葉ながやき。
「上司に恵まれんかったき」とか、「あの出来事さえ無かったら」とか、よう聞く言葉やけんど、つまりは誰かのせい、何かのせいにしゆうっちゅうことながよ。
確かに、マジでどうしょうもない上司やったり、手の打ちようがない天災やったりしたら、そりゃあそんな言葉の一つも出てしまうもんやろうけんど、誰かのせいや何かのせいにしてそれだっけで終わってしもうて、自分は何ちゃあしてないとしたら、そこが一番の問題やっちゅうことながやき。
今の長期化しちゅうコロナ禍やち、おんなじながよ。
思いもよらんコロナ禍の長期化で、日本酒の売上が激減しちゅうき、ワシやち「新型コロナのせい」だっけにして、自分は何ちゃあせんと、それだっけで終わってしまえるもんやったら、その方がナンボか楽ながやき。
けんど、当然この長期化するコロナ禍で、自分が何ちゃあせんかったら、下手したら会社が潰れてしまうがよ。
「どんな人と一緒になったち、どんなことに出くわしたち、つぶされん人格をつくり、幸せに楽しゅうおれるような人」になるっちゅうことは、たとえ完全に相手が悪うたち、どれっぱあ理不尽な天災に遭うたとしたち、自分のことやと引き受ける度量のある、責任の範囲の広い人になって、実際に行動することができるっちゅうことながぜよ。