今回は、昨日のブログ&Facebookの続きで、8月23日(日)に開催された、ワシが理事長を務めさいてもらいゆう「土佐学協会」(http://tosagaku.cocolog-nifty.com/report/)主催の「第14回・土佐学大会」の「中編」ながやき。
例年やったら5〜6月頃に、高知県立大学・高知工科大学の永国寺キャンパスにて開催されよった「土佐学大会」やけんど、このコロナ禍で延期となり、さらに大学内じゃあ開催できんっちゅうことで、初めての人数制限つきのお店での開催、「はりまやライト」さんにての開催ながよ。
まずは、10名の会員メンバーが集まり、14時から14時半まで、「土佐学協会・令和2年度総会」が開催(昨日のブログ&Facebook参照)されたがやき。
ほんで「総会」終了後は、1階の会場に移動し、一般受付を開始。
14人の参加者の方々が集まり、15時からは有限会社泉利昆布海産七代目の泉谷社長さんの、「なんで南国土佐で、北海道の昆布が土佐の食文化に必要不可欠な食材ながか?」っちゅうテーマでの講演のスタートながよ。
まず泉谷社長さんは、「おぼろ昆布」や「白板昆布」らあの製造の本場は、福井県の敦賀やけんど、実は高知県西部の宿毛市で息づく、技術と歴史に裏打ちされた、昆布製造企業があるっちゅうがやき。
それが泉利昆布海産(http://www.izuri.net/)さんであり、創業は明治元年で、本社は高知市やけんど、宿毛市に工場があるっちゅうがよ。
ほんで、まず一番の疑問は、温かい海に囲まれた高知県じゃあ、当然昆布は取れんがやけんど、ほいたらなんで高知で昆布屋ながかっちゅうことやろうっちゅうがやき。
元々お酢屋やったっちゅう泉利昆布海産さんは、明治元年に大阪は堺で、住吉神社らあのお宮関係に昆布を納める昆布専門店として創業したっちゅうがよ。
それが、大戦にて職人や番頭さんらあが戦死したがをきっかけに、泉谷社長さんのお祖母さんの実家がある高知県に移住して職人を育成、昆布加工メーカーとして今に至るっちゅうがやき。
ちなみにおぼろ昆布は、昔っから職人の家族で製造しよって、それを昆布屋が買うっちゅうんが常識やったっちゅうがよ。
けんど、その制度じゃあ後継者がなかなか育たんもんやき、現在大阪堺市じゃあ10名を切り、おぼろ昆布の本場の敦賀やち今じゃあ職人が90名を切り、後継者と高齢化問題に頭を痛めゆうっちゅうがやき。
全国的に見たち、泉利昆布海産さんみたいに、おぼろ昆布職人を会社として雇用しちゅうっちゅうところはほとんどないらしゅうて、おぼろ昆布の製造に関しちゃあ、絶対の自信を持っちゅうっちゅうがよ。
続いて、昆布加工の歴史についてやけんど、江戸時代の徳川幕府による蝦夷地(北海道)開拓以来、昆布の採取が盛んになり、近江商人による北前船を使うた商取引が始まったっちゅうがやき。
北海道〜日本海〜北陸〜琵琶湖〜京都〜大阪っちゅうルートと、日本海沿岸を通り下関から瀬戸内海を通って淀川を上り大阪まで運ぶルートとを合わせて、昆布ロードと呼ばれるようになったっちゅうがよ。
この昆布ロードは、その後江戸や九州にまで伸び、ほんで薩摩藩により琉球大国を中継地点として清(中国)にまで伸びていったっちゅうがやき。
北前船は、大阪の木綿、雑貨品、四国の塩らあを積み、北陸や東北の各港に立ち寄り、土地各々の産物と交換し、松前(北海道)に戻っていくがよ。
特に主な経由地である富山、大阪で昆布の加工が盛んになっていくがやき。
おぼろ昆布の加工にゃあ特殊な包丁が使われるがやけんど、大阪の堺市は包丁の町としても知られちょって、それが昆布加工が盛んになった要因の一つでもあるっちゅうがよ。
ほんで、高知県じゃあ「おきゃく(宴会)」に欠かせん「皿鉢(さわち)」があるけんど、その皿鉢料理に欠かせんがが、昆布巻き寿司やっちゅうがやき。
しかも、高知県内の地域によって、昆布巻き寿司に使う昆布の幅や種類が異なるっちゅうばあ、様々な昆布巻き寿司が、いまでも現存しちゅうっちゅうがよ。
高知市より東側じゃあ、巻き寿司の中芯にカンピョウや野菜らあの具を入れて巻くきに、幅の広い白板昆布を使うらしゅうて、高知市より西側じゃあ、具を巻かんきに幅の狭い白板昆布を使うっちゅうがやき。
さらに、幡多地区じゃあ、歯舞の棹前昆布で巻いた黒昆布寿司が有名やっちゅうがよ。
このような昆布巻き寿司の食文化があるがは、高知県と和歌山県くらいやっちゅうがやき。
また、昆布は一人前の「成昆布」になるがに2年かかるっちゅうがよ。
そんな昆布を水揚げしたら、続いては高圧洗浄機で洗うて異物を取り除くっちゅうがやき。
お次は乾燥させるがやけんど、かつては天日乾燥が当たり前やったけんど、近年は異物混入の危険防止と生産性の安定と向上の観点から、機械乾燥が主流になりつつあるっちゅうがよ。
最後に、昆布の端の色の悪い部分を丁寧に切り落としたり、一枚ずつ規格に沿って折り畳む、「裁断」と「巻き前」っちゅう作業があるっちゅうがやき。
ちなみに天然昆布と養殖昆布の違いについちゃあ、天然物のほうが成分的にも優れちょって、より肉厚になるっちゅうがよ。
次に昆布の値決めについちゃあ、共同値決めと入札の二種類があり、共同値決めじゃあ、一枚ごとの厚さや重量をもとに等級分けし、生産者代表の漁協と買受業者代表の値決め委員が、北海道漁業協同組合連合会の仲介のもとで、価格を決定するっちゅうがやき。
主に量産地区、日高、釧路、根室らあの昆布はこの共同値決めが多いっちゅうがよ。
利尻昆布や真昆布らあの少量多品種の場合は、産地商社を介した入札によって価格を決定するっちゅうがやき。
道南の場合7月以降の水曜に品検品、木曜に入札を行い、12月まで毎週行われるっちゅうがよ。
続いては、昆布の流通についてながやき。
昆布の流通は、一般的な水産物や農産物らあと違うて、下記のような、こぢゃんと複雑な流通網になっちゅうっちゅうがよ。
生産者(漁師)➡各漁業協同組合➡北海道漁連➡共販協会➡一次問屋(共販会員)➡二次問屋(卸)➡加工業者➡小売業者➡消費者
上記の中で一次問屋は産地商社、二次問屋は内地商社と呼ばれ、加工業者が一般的に昆布加工メーカーとして様々な製品を生み出すっちゅうがやき。
また、北海道で生産された昆布を、生産者が自由に販売したり移動するこたぁ、北海道条令で禁止されちゅうっちゅうがよ。
一度は北海道漁連の手を通らにゃあ、今でも正規ルートの商品たぁ見なされんっちゅうがやき。
けんど現実は、原料確保を第一にする内地メーカーと税金対策のために、昆布を売る産地漁師との取引があるこたぁ暗黙の事実になってきちゅうっちゅうがよ。
続いて昆布の国内の年間漁獲量やけんど、1995年に約2万8000トンやったがが、2019年にゃあ約1万3000トンと、半減しちゅうっちゅうがやき。
さらに昆布業者の推移は、1991年にゃあ1万5000軒ばああったがが、2018年にゃあ6200軒ばあと、約30年で6割減になっちょって、年齢構成も70%が50〜70代になっちゅうっちゅうがよ。
ほんじゃき、中国・韓国・ロシアらあからの輸入も増えてきゆうっちゅうがやき。
そんな右肩下がりの業界の中で何ができるがか、企業として葛藤があるっちゅうがよ。
近年、消費者ニーズは簡単便利の商材が求められゆうき、企業としちゃあ時代の流れについていかにゃあいかんっちゅうことで、簡単で美味しい「昆布の水出し」らあも伝えていきゆうっちゅうがやき。
「売りたいもん」と「売れるもん」のギャップ、今の市場はニーズの創造よりか、ちんまいパイの取り合い、椅子取りゲームになっちゅうっちゅうがよ。
売り場に並ぶだっけで満足してないか?自己満足だっけでお客様に伝わってないがやないか?本当にやるべきことをやりゆうか?まっと何かできることがあるがやないか?
そんな中で、新しいニーズの創造は、日本の文化をただ伝えていくことだけやのうて、キーワードは「次世代に伝える」やっちゅうがやき。
そんな思いから、「宗田節塩昆布」や濱長さんの「昆布茶」らあが誕生したっちゅうがよ。
ほんで長期経営理念は、「昆布加工(おぼろ昆布、白板昆布)を通じて、日本の食文化(ダシ、旨味)の素晴らしさを次の世代に伝えてゆく」となったっちゅうがやき。
ちなみに短期経営課題としちゃあ、「昆布=伝統食」っちゅう考え方じゃあ未来がない、何故なら消費者目線で捉えりゃあ「伝統」は購買へのモチベーションにゃあつながってないっちゅうことながよ。
文化は無くならんがか?新しいベネフィットを見出ださんかったら、昆布に限らんと日本の古うからの伝統食に未来はないっちゅうがやき。
新たなチャレンジを恐れんっちゅうこと、その先に品質と安定性、技術の伝承、地域の食文化を伝える使命があるっちゅうがよ。
ほんで、最後に泉利昆布海産が企業として思い描くゴールについて、次のように語られたがやき。
昆布は決して高尚な食材やのうて、日本人のDNAに刷り込まれた安心できる味、必要な栄養が含まれたベーシックな素材やっちゅうがよ。
ハレノヒや高級な料理だけやのうて、平日の食卓、仕事や学校帰り、家族との時間、普段の日常に何気のう昆布が存在する未来が訪れる・・・そんな商品を開発することやっちゅうがやき。
そんな何気ない日常こそが、日本人として和食の素晴らしさ、伝統技術の大切さをあらためて次世代に伝えていくことにつながると信じちゅうっちゅうがよ。
こうして16時ばあにゃあ、泉谷社長さんの講演は、拍手喝采の中で終了したがやき。
泉谷社長さん、まっこと素晴らしい講演を、ありがとうございましたぜよ!
続いては、会場の「はりまやライト」さんも経営されゆう、「寿し柳」さんの三代目濱口社長さんによる、「昆布巻き寿司実演」ながよ。
白板昆布の巻き寿司と、歯舞の棹前昆布で巻いた黒昆布寿司を、実演してくださったがやき。
皆さん、スマホを片手に、撮影しまくりになったがよ。
昆布茶と共に、白板昆布巻き寿司と黒昆布巻き寿司が配られたがやき。
白板昆布巻き寿司は、やわらこうて口中に旨みが膨らみ、まさに「旨いっ!」の一言やったがよ。
お次の黒昆布巻き寿司は、旨みは少のう感じたがやけんど、昆布の歯ごたえがシッカリあって、噛み締めりゃあ噛み締めるばあ旨みが出てくるような巻き寿司で、こちらも独特でなかなか美味しかったがやき。
昆布茶も美味しゅうて、昆布巻き寿司をいただくときにゃあ、これが一番やないかっちゅうばあバッチリやったがよ。
さてこの後は、札幌国際大学短期大学部学科長教授の遊佐先生の、札幌からZoomでつながってのリモートミニ講演「昆布の歴史と現代の食文化について」やったがやけんど、こっから後についちゃあ、明日のブログ&Facebookの「後編」をお待ちくださいや!
土佐の高知の日本酒蔵元「司牡丹」の公式ホームページは、こちらをクリック!
司牡丹酒造株式会社