「少(わこ)うして学びゃあ、則ち壮(そう)にして為すこと有り。壮にして学びゃあ、則ち老いて衰えず。老いて学びゃあ、則ち死して朽ちず。」(佐藤一斎)
その門下生は3000人と言われ、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、中村正直らあの幕末に活躍した幾多の英才が彼の膝下から育ったっちゅう、幕末における儒学の大成者、佐藤一斎(1772〜1859)さんの言の葉ながやき。
有名なこの言の葉を、壮年を超えて中年になり老年が近づく中で、ワシゃああらためて噛みしめてみたがよ。
若い頃からしっかり学びゃあ、壮年になって何事かを為し遂げることができるっちゅう言の葉からは、ワシも含め多くの皆さんが、「若い頃にまっと学んじょくがやった!」っちゅう反省の思いが湧き出してくるがやないろうか。
壮年になってもさらに学び続けりゃあ、老いたち衰えることがないっちゅう言の葉からは、中年になったちまだまだ一層学ばにゃあいかんっちゅう意欲が、沸々と湧いてくるっちゅうもんながやき。
ほんでラストの、老いてからもさらに学び続けりゃあ、死んだち朽ちるこたぁないっちゅう言の葉にゃあ、大いなる希望と勇気を与えられるがよ。
人間、年をとってしもうたら、もう老人になってしもうたき、学び続ける意味らあないっちゅうて思うてしまいがちやけんど、そうやないっちゅうことながやき。
老いて学ぶ意味は、大いにあるっちゅうことながよ!
すなわち、老いてからも学び続けりゃあ、死んでしもうた後にも決して廃れることのない、代々語り継がれるような事績を残すことができるっちゅうことながやき。
これっぱあ老年の方々に、大いなる希望と勇気を与えてくれる言の葉らあて、他にゃあないと思わんかよ?