「環境が人を作るっちゅうことに囚われてしもうたら、人は単なる物、単なる機械になってしまうがよ。人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以があるがやき。自由があるがよ。則ち主体性、創造性があるがやき。ほんじゃき、人物が偉大でありゃああるばあ、立派な環境を作るがよ。人間が出来てなけりゃあ環境に支配されるがぜよ。」(安岡正篤)
政治家のアドバイザーとして、東洋宰相学や帝王学を説き、彼らあの精神的指導者として「陰のご意見番」「首相指南役」の位置にあった、東洋思想家・陽明学者・哲学者、安岡正篤(1898〜1983)さんの言の葉ながやき。
かの安岡正篤さんは、人間の人間たる所以は、自由があり、主体性があり、創造性があることやき、ゆえに環境を作る人間でなけりゃあ、単なる物や単なる機械とおんなじになってしまうと断言するがよ。
ほんで、人物が偉大でありゃああるばあ立派な環境を作り、人間が出来てなけりゃあ環境に支配されてしまうっちゅうがやき。
環境に支配されるたぁどういうことかっちゅうたら、だいたい次の2つのタイプがあるがよ。
まず最悪ながは、「環境のせいにする」っちゅうタイプ。
こりゃあ、何じゃち他人や環境のせいにしてしもうて、自分は何ちゃあ悪うないと思うちゅうき、不平不満や愚痴や悪口らあを言うだっけで、自らは何ちゃあ行動に移さんっちゅうタイプながやき。
もうひとつは、自ら行動に移そうとはしゆうけんど、他人や周囲や環境の力に負けてしもうて、環境に流されるだっけの人生を送ってしまうっちゅうタイプながよ。
このいずれのタイプも、環境に支配されてしもうちゅうきに、結局は自由も、主体性も、創造性も発揮することができんまんま、何事も為し遂げることのない人生を送ることになるがやき。
せっかくの大切な自分の人生やに、そんなツマラン人生で、ホンマにえいがかよ?!
そんなツマラン人生らあ送りとうないと思うがやったら、今からやち遅うないき、自らの自由と主体性と創造性を発揮して、環境に働きかけ、「環境を変えるがじゃ!環境を作るがじゃ!」と宣言し、とにかく行動あるのみ、実践あるのみ、一歩を踏み出すことしかないがぜよ!