「人生たぁ不十分な前提から十分な結論をひきだす技術ぜよ。」(サミュエル・バトラー)
代表作にユートピア小説「エレホン」らあがあるイギリスの小説家、サミュエル・バトラー(1835〜1902)さんの言の葉ながやき。
学校で習う授業や教科書らあじゃあ、「十分な前提」っちゅうんはあり得るろうけんど、現実の人生じゃあ実は「十分な前提」らあて、まずあり得んがよ。
現実の人生においてもし、あらゆる前提が十分に揃うまで結論を出さんと待ちよったら、そりゃああらゆるチャンスを逃してしまうことと、イコールになってしまうがやき。
けんど、それに気がつかんまんまで社会人になってしもうたら、学生時代に優秀やった人ほど、ショックが大きゅうて、引きこもりになったりしてしまいかねんがやき。
「十分な前提」らあてもんは、現実の人生じゃあ揃うことらあてあり得んがやき、いつじゃちどんな場合やち、不十分な前提のまんまで結論を出さにゃあイカンがよ。
そこでバトラーさんは、「むしろ人生たぁ、不十分な前提から十分な結論をひきだす技術や!」っちゅうて喝破するがやき。
つまり自分の人生をより良う生きたいやったら、不十分な前提からやち十分な結論をひきだす技術を磨くべきやっちゅうことながよ。
ほいたら、不十分な前提からやち十分な結論をひきだす技術たぁ何かっちゅうたら、夢を持つことと妄想力に尽きると、ワシゃあ思うがぜよ。