「運は水の上を流れゆうがやき。命がけで飛び込んでつかむ度胸と、その運を育てる努力がなけりゃあ我が身につかんぜよ。」(浅野総一郎)
「京浜工業地帯を創った男」、「日本のセメント王」と呼ばれ、一代で浅野財閥を築き上げた、明治・大正時代を代表する実業家、浅野総一郎(1848〜1930)さんの言の葉ながよ。
運をつかむ人っちゅうんは、ワシらあはスッと偶然を味方にした人みたいに考えてしまいがちながやき。
けんど、かの浅野財閥を一代で築き上げた浅野総一郎さんは、まったくそういうことやないと喝破するがよ。
彼に言わせりゃあ、運っちゅうもんは、まずは度胸が必要やっちゅうがやき。
しかもそりゃあ、流れる水の中に命がけで飛び込んでつかみ取るばあの度胸やっちゅうがよ。
さらに、そうしてつかんだ運を、育てる努力も必要やっちゅうがやき。
運を育てる努力!初めて聞いたけんど、まっことえいフレーズやと思わんかよ?
つまり、運っちゅうもんは、神様のイタズラでも「偶然の産物」でも何でものうて、命がけでつかみに行く度胸を持ち、さらにつかんだらそれを育てる努力をするっちゅう人だっけが身につけることができる、神様も認める「当然の産物」やっちゅうことながぜよ。