「時間たぁ、生きるっちゅうこと、そのもの。ほんで人のいのちは心を住みかとしちゅうがやき。」(ミヒャエル・エンデ「モモ」より)
ドイツの児童文学作家で、その代表作の「モモ」や「はてしない物語」(ネバーエンディングストーリー)らあは、児童文学の枠を超え、世代や国境も越えて世界中で愛読されゆう、ミヒャエル・エンデ(1929〜1995)さんの言の葉ながよ。
このエンデさんの言の葉にて、本年の締め括りのブログ、および Facebookとさいていただきますぜよ。
時間たぁ、精密な時計が計るように絶対的なもんやと思うちゅう人がおるかもしれんけんど、実はそんな機械的なもんやないがやき。
たとえば、何ヶ月もの月日を一瞬のように感じたり、ほんのわずかな時間を永遠のように感じたり、そんな経験を誰やち持っちゅうはずながよ。
そりゃあ錯覚でも何でものうて、その人にとっちゃあその感じた方の時間こそが、実は本当の時間やっちゅうたら、おまさんは信じてくれるろうか?
アインシュタインさんの相対性理論によりゃあ、速う動きゃあ動くばあ周囲から見りゃあ時間の流れは遅うなり、それが光の速度に限りのう近づきゃあ、周囲から見りゃあほとんど時間が止まっちゅうように見えるっちゅうがやき。
つまり、時間は絶対的なもんやのうて相対的なもんやっちゅうことながよ。
ほんじゃき、かのエンデさんは「時間たぁ、生きるっちゅうこと、そのもの」っちゅうて表現しちゅうがやき。
光の速度さえ超えることができるもんは、人の念いながよ。
人の念いたぁつまりは、心を住みかとしちゅう人のいのちの躍動ながやき。
それが生きるっちゅうことであり、そりゃあ相対的な時間そのものやっちゅうことながよ。
ほんじゃき、何ヶ月もの月日を一瞬のように感じたり、ほんのわずかな時間を永遠のように感じたりするっちゅうんは、錯覚でも何でものうて、その人にとっちゃあその感じた方の時間こそが、実は本当の時間を生きちゅうっちゅうことながやき。
さて、令和2年もコロナ禍のまんま暮れようとしゆうけんど、新年の令和3年は強い念いを持って、おもいっきりいのちを躍動さいて生きましょうぜよ!
今年も1年、ありがとうございました!来年も、何とぞ宜しゅうお願い申し上げます!