「自己を知るこたぁ、自己を矯正することやぁないがやき。自己を知るこたぁ、自己をゆるすための回り道ぜよ。」(ポール・ヴァレリー)
フランスの作家・詩人・小説家・評論家で、多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される、ポール・ヴァレリー(1871〜1945)さんの言の葉ながよ。
誰しもが、一番知っちょりそうな自分のことを、意外にみんなあ知らんもんながやき。
ほんじゃき、みんなあまっと自分を知ろうとして、自分の内面を探求したりするがやけんど、嫌な部分や短所らあが見つかったときにゃあ、それを矯正しょうとしてしまいがちながよ。
けんど、その矯正は、うまいこといくはずがないがやき。
何でか言うたら、その嫌な部分や短所らあも含めて、自分自身やきながよ。
自分の嫌な部分の裏返しが自分のえい部分であり、自分の短所の裏返しが自分の長所ながやき、実は嫌な部分や短所をもし矯正してしもうたら、おまさんのえい部分や長所も、無いなってしまうっちゅうことながやき。
ほんじゃき、自己を矯正しょうとしたらいかんっちゅうことながよ。
自分の嫌な部分や短所らあを発見したら、矯正しょうとするがやのうて、それらあも含めてこそ自分ながやと認めて、そのまんまの自己を愛し、抱き締めてみることながやき。
そっから初めて、自己をゆるすための回り道に入っていくことができ、その道こそがホンマの自己を知る道やっちゅうことながぜよ。